2021年

                                 

   

  • 2021年 6月27日(日) (父が入院する救急車を追随している時、「可哀そうな猫」、、、)1月21日、父が手術のため移送された日のことです。
    萩市大井の施設からT病院までは、12kmあり、半分は海の傍を走ります。その途中、左はコンクリートで山を覆う崖、右は海。そうした中に、私の前方を行く、父を乗せた救急車が急に低速でセンターライン上を走り始めた。よく見ると、子猫が歩いていた。
    思ったのは、海の淵に捨て猫になったが、階段を這い上がり、道路上に出たのだろう。通り過ぎる時、このままでは、轢かれてしまうのではないかと心配した。
    父を病院に送り、施設から借用したものがあり、折り返し施設に向かった。105才の父の手術のことを気にして、猫のことが頭になかったのです。
    荷物を届け、自宅に帰る時、猫のことを思い出しました。道路を歩く姿を見た場所から、少し低速で運転し続けると、道路の左端に物体が見えた。
    悲しいかな、動いていなかった。埋葬してあげようと思ったが、渋滞していることと、駐車場所が全くなかったので、そのままにせざるを得ませんでした。
    ごめんなさいと言いながら、冥福を祈りました。
  •                    

    救急車がセンターライン上に移動?左に何か

                       

    危ない!

                       

    動物かな?

                       

    猫だろうか

                       

    猫だ

                       

    2時間後の道で、物体が、、

                                           

    やはりあの猫だ、、

                       

    ごめんなさい。助けられなくて、、、

     
         
  • 2021年 3月13日(土) (寒く外に出ない終日、YOUtubeを見る機会の多い日々。ふと聞いた曲と詩に魅了され、、、)それは、竹内まりやのこの歌です。

    30分で、歌えるようになりました。
    コメント欄に記載された年配の方の気持ちが、伝わります。
  •  
         
  • 2021年 2月16日(火) (1年前の健康診断で、診断結果を提示させられたその日から、半世紀続けた飲酒から断酒。でも苦にならず。「えらい」と自分を褒めた、、、)健康保険の無料健康診断の期限が2月末で、毎年2月にしています。
    いつも気になることは、「潜血」と「γ-GTP」です。
    「潜血」は、検査直前に夫婦仲がいいと、時々あることですが、最近は、検査前には自重しています。
    「γ-GTP」は、通常、飲酒によるものだと言われています。飲酒しない人も数値が高くなる人があるようです。
    ここ数年、検査一週間前から禁酒したりして、検査時に数値が下がるようなことをしていましたが、昨年は、それを止めて前日も、いつもの様に飲酒をして検査に臨みました。
    実は、7〜8年前だったか、それまで毎日飲んでいるのに、正常値内の「40」台だったものが、「70」台になったりして、毎年数値が高くなりました。
    かかりつけの医者が、「そろそろお酒も、ほどほどにして下さい」と言い続けられていたが、お酒は、昼頃、缶ビールを2〜3本飲み、畑仕事をし、夕刻から、また飲酒を開始し、結局、毎日缶ビールを6〜7本、毎日飲み続けており、65才から8年も続いていました。
    そこで、肝臓に良いと言われていた「ウコン」を栽培し、11月収穫して薄切りにして天日干しをする。                                    
    細かく砕き、ミキサーで粉末にして、毎日小さじ1杯飲むことにした。
    すると効果があり、数値が上昇しなくなりました。調子に乗って飲んでいましたが、3年前に、数値が「100」位になり、医者からも飲酒を止めるように言われていました。この数値は、肝臓病の入り口でしたが、痛さがあるとかの体感がないため、飲酒を止めることが出来ませんでした。
    それが、昨年の健診前の1週間禁酒したにも関わらず、数値が、前年の「138」から「196」になっていました。
    肝硬変から肝臓ガンになるような数値でした。医者も、もう駄目ですねと言っていました。
    これには、さすがの私も驚き、その日から断酒しました。
    その後、4か月断酒を続けましたが、その間、口が寂しくなり、菓子類、飴等を口にするようになり、糖分が気になるので、その抑制または下降させる作用のある菊芋(味噌漬けにして1年中食べています)を、毎食事に食べていました。
    また、協和発酵の「オルニチン」も毎日飲みました。
    3か月後再検診した時の数値を見て、また驚きました。
    完全に正常値だったのです。「49」でした。
    その日から、また飲酒を始めましたが、体には異変が起こっていました。缶ビール1本で、真っ赤になり、それ以上飲むことができなかったのです。それが、その後も毎日続き、現在に至っています。
    どうしてなのだろうか?嬉しい誤算でした〜〜。
    実は、私は、学生時代から飲めなかったのです。
    早稲田大学に入学して、「山の会」なる同好会に入り、その新入会員歓迎コンパが、神奈川県の丹沢で、キャンプをして行われました。
    初めてのアルコールが、何と焼酎でした。それを無理やり飲まされてしまい、苦しい思いをしてしまったため、「二度とお酒は、大量には飲まない」と決め、ビールもコップ一杯で酔いどれてしまうほどの学生生活でした。
    昭和45年にG社に入社してからも、宴席は随分とありましたが、ビールコップ1杯だけの状態が続きました。
    昭和50年に結婚した当時も、家での晩酌は全くしていませんでした。
    ところが、それから数年、採用業務をしなければならないようになると、学校、社内間の付き合い等、飲めない人は、付き合いもしてもらえないようなことも多々あり、無理をして飲み、戻し、それでもなお飲み戻しすることが頻繁にあるようになりました。
    社宅に夜遅くフラフラで帰り、すぐトイレ。寝床でも洗面器をおいて戻し、家内に背中をさすってもらう日が、どれだけ続いたか覚えていません。
    そのため、次第にお酒に強くなってしまいました。                                    
    人生が変わりました。
    昭和55年大阪に転勤してから、毎月天引きで自社株を購入していた物が、株価900円になった時、持ち株の9千株を売却して、800万円を新地等で、当時の人事部長を初め、多くの人に奢ってあげるというようなこともしてしまいました。
    競馬と飲み代で、一軒家が2軒建てられていただろうけど。
    今になれば、「これも人生だ〜〜。」
  •                    

    「γ-GTP」健診結果の推移

     
         
  • 2021年 2月14日(日) (新しい年の1月は、父の命の選択を間違えるようなことがあり、、、)いづれ記述します。近々、今年のHPの始まりです。
  •  
     
    トップページに戻る