2015年

  • 11月27日(金) (南丹市に入った途端、山の中の、いつもの場所でネズミ捕りですよ、、)
    京都市京北町から神楽坂トンネルを過ぎると美山町です。山に囲まれた家も少ない場所で、よくネズミ捕りをしています。
    過日、石田家住宅に行く途中、その場所(ネズミ捕りをよくやっている)は制限速度は50kmであり、それまでの70kmから52〜3kmで直線の道を走行して注意していました。レーダーがあるかなと思える手前で、赤い乗用車が追尾していましたが、離れたり近くになったりしていました。
    ああ、、レーダーがあった。レーダーの向こうにいた警察官の眼は、私のナンバーを確認していました。ドキッ、、、
    30m走行すると警察官が、赤い「止まれ」の旗を持って出てきました。ドキッ、、、
    私?と思いきや、旗は、すぐ後ろの赤い乗用車の前に出されました。良かった、、、、、。ゆっくり走ろうよ。
    ゆっくりでも事故がありました。先日、萩市内で、ゆっくり走っている車同士の交通事故がありました。思わず運転中に、「あ〜あ〜あ〜ッ」と声が出ました。
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    ああ〜〜ッ レーダーが、、、(ドライブレコーダーの動画映像を静止画像に編集したもの)

                          

    ああ〜〜ッ 警察官の「止まれ」の赤旗が、、(ドライブレコーダーの動画映像を静止画像に編集したもの)

                          

    その@左折中の赤い車に軽ワゴンが横から、、(ドライブレコーダーの動画映像を静止画像に編集したもの)

                          

    その@ドン。当たり〜〜、、(ドライブレコーダーの動画映像を静止画像に編集したもの)

                          

    そのA左車線は通行不可で、おばさんがバックを(後ろに車があるのに、、)(ドライブレコーダーの動画映像を静止画像に編集したもの)

                          

    そのAドン。当たり〜〜、、(ドライブレコーダーの動画映像を静止画像に編集したもの)

     
  • 11月18日(水) (ジャンボフェリーは傾いたまま走行〜〜〜ッ、、、、)
    神戸港を出ると、左側通行のため淡路島方面に向かい、明石海峡大橋が遠くに見える頃から右に旋回します。だから船体は左に傾きます。でも、、、、
    明石海峡大橋は、乗用車で走行している時には、とても大きく感じましたが、下から見ると、意外と小さく感じました。距離感であったり、視野の関係もあったりして、そう感じるのでしょう。
    明石海峡を過ぎると、船は直線に走るのですが、海面と船との角度が、いつまでも左の方に傾いたままでした。
    コンテナをたくさん積んでおり、左が重くなっているのだろうと思いながらも、あの韓国の旅客船沈没事故を思い出していました。
    この日は幸いにも凪で、波がほとんどなく、安全だろうと思いながら3時間を過ごし、無事小豆島に到着しました。でも気になったのは、船内放送は一度もなく、救命胴着や避難方法等も説明放送がなかったことです。法令違反のようです。
    宿は高台にあり、すぐ傍の海は、潮の干満で小さな小島に行けたり行けなかったりする有名な場所がありました。
    翌日は、「二十四の瞳」の、あの撮影場所に行き、映画を思い出しました。同時に、自分自身の幼き頃をも彷彿させてくれました。そんな最高の旅でした。
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    旅に出る時、いつも私しかわからないことを記述して、、、

                          

    神戸港に、日本一短い国道、、

                          

    下から見た明石海峡大橋

                          

    船は真っすぐ進むけど傾いていない?

                          

    船内からも傾きがわかる、、

                          

    今は砂浜があり、島に行けるけど、、、

                          

    懐かしい校舎

                          

    映画のスチール写真に涙、、

     
  • 11月10日(火) (明石海峡大橋を下から見て、小豆島の360度の絶景を満喫します)
    大根1,000本の他、冬野菜が順調に育っているのを確認したので、また萩市の100才半年の父のいる萩市に、今月も帰ります。
    帰省の途中、昔から、一度は行ってみたいと思っていた小豆島に宿泊し、あの名女優である高峰秀子の演じた「二十四の瞳」の撮影現場に行きます。
    あの映画を見て、子供でしたが泣いて見ていたのを今も思い出します。だから、小豆島に行きたかったのです。
    フェリーで島に行きますが、同じ行くなら、時折通る明石海峡大橋を下から見てみようと思い、神戸からカーフェリーに乗ります。今からとても楽しみです。

  • 11月 3日(火) (またもや、あわや、、。三差路で「止まれ」を無視して右折するバイクと、、、、、、、)
    10月29日、近くの畑から耕運機を車に積んだ帰りの事でした。
    時速40kmの狭い直線の道を走行中、左の三差路を通過する直前でした。
    左からの道は、「止まれ」の標識があるのに無視して、バイクが私の車の進行方向に右折してきました。
    たまたま、その直前、人が路上におられたので、スピードは時速18km(ドライブレコーダーで、時速、位置も記録されます)でしたので、咄嗟に停車が出来、相手のバイクも急ブレーキをかけ、倒れそうになりましたが、どうにか持ち直しました。
    どうも、銀行の外交員のようでした。「一旦停止でしょう。交通ルールを守って下さい。事故が起きるところでしたよ。」と言うと、「すみません」と言って、通り過ごして行きました。
    ああ〜〜怖い怖い。ゆっくり走るようにしよう。
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    バイクと衝突か〜〜、、あわやの、、(ドライブレコーダーの動画映像を静止画像に編集したもの)

     
  • 10月29日(木) (18年前、リサイクル店で購入した5千円の二層式洗濯機を分解修理、、、)
    美山での洗濯機は、軒下に置いてあります。
    18年前、大阪で借用していたワンルームマンションで使用していたもので、その当時、リサイクル店にて、5,000円で購入しました。
    26日に洗濯中、排水時に水が真下に流れ出して、足元を流れていくではありませんか。倉庫には数年前まで利用していた自動の洗濯機があるのに、無性に二層式の古い洗濯機に愛着がありますので、早速、裏返しにして原因究明です。
    古い器具は、意外と単純なものになっており、排水を導くホール接続部分を切り貼りして修理しましたよ。
    とても嬉しい。。
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    愛着ある古い二層式洗濯機が修理できました

     
  • 10月15日(木) (あわや、、。一方通行を逆走してきた、、、)
    13日から一人萩市に帰省しています。
    毎日、父の入所先に行きますが、市内は狭い道が多く、一方通行の道も多いのです。
    あの高杉晋作や木戸孝允の誕生地がある通りも、車両が離合も出来ない狭い道路ですので、一方通行です。
    市内の明倫館(明倫小学校)と萩図書館の間の道路も一方通行です。昨日、それが終わるところを右折しようとしたところ、突然軽自動車が一方通行を逆走して来ました。
    思わずですが、それを避けるため左にハンドルを切るのではなく、右にハンドルを切り、その車の真正面で停車しました。そして「一方通行だ。警官が立っているぞ(これは嘘ですが、、)。」と言うと、軽乗用車に乗っていた若者4人は慌てた様子で、バックして逃げ去りました。
    ああ〜〜怖かった。こういうことのためにドライブ・レコーダーを付けましたよ。
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    一方通行を左折侵入してきた軽自動車、、あわや、、(ドライブレコーダーの動画映像を静止画像に編集したもの)

     
       
  •  7月25日(土) (昨日、美山に行き、今日は守山に帰りました。朝の訪問者から、独裁者 安部晋三と同じ出身ですか?、、、と。)
    帰省先の萩市から守山市に帰り、野菜を収穫するため、昨日美山に行きました。
    万願寺、ナス、トマトを収穫して守山市に帰ろうとしていると、訪問者がありましたが、入口の石田家住宅の説明文を読まれ、
    「あなたは、あの独裁者、安部晋三と同じ出身なのですね。」と言われました。
    すぐさま、「すみません。」と謝りました。
    情けない話しですが、萩市に帰っても、友人が、
    安部さんには、山口県出身と言って欲しくない。
    あれだけの独裁者は、東京都知事の言うように、戦前の戦争を誘導する政治家と同じ
    等、「日本人にとっては排除すべき日本人」等と表現される人だと言われてしまっている。
    それで、いいの?ああ〜〜悲しいことです。

  • 7月 5日(日) (美山での朝食で〜〜〜す、、、)
    石田家住宅に来ると、一人生活になります。
    朝から夕方まで、草刈り、木々の間伐、畑仕事等、肉体労働であり、朝食はしっかり食べるのです。
    最初に食べ尽くすのが、「サンチュ」です。自宅でも、「そんなに食べるの?」と言われていますが、これを最初に食べることによって、繊維類の摂取が十分で快便になるのです。
    ポテトサラダ大好き人間です。今回は、キューリを猪に荒らされましたので、ジャガイモと人参だけです。食べる量だけお皿にとってマヨネーズをかけます。一度にマヨネーズを入れて数日分作ると、夏場は悪くなることがあるからです。ちなみに、冬はキューリが高いので、いつも隼人瓜を使います。食感があり最高ですよ。
    納豆は、毎日食べています。ご飯には、「しそわかめ」をかけています。コロッケは、18円(スーパー・バロー)で買っています。
    夕食は、次回来る時には、虫が食って、食べられなくなるため、土に埋めようとしていたキャベツと、生でも食べれる島ラッキョウを酢味噌であえて酒の肴にして食べます。
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    毎日の朝食で〜〜す

                          

    捨てるつもりのキャベツでしたが、、

                        

    生でも美味しい島ラッキョウ

     
  • 6月28日(日) (おじさんスタイルで電車にも、、、)
    25日から美山に来ましたが、その前日、昼食を瀬田駅前の王将(いつもの定番であるビール、餃子、カニ玉)で食べ、「びわこサウナ」に行きました。
    このサウナの無料招待券(昔、サウナの経営者にいただいた物)の綴りが、あと4枚残っており時々来ます。いい湯でしたが、リニューアルオープンした時から料金が高くなったためか、人があまりいないような状況でした。
    行き帰りの服装を写真に収めました。
    「こんなスタイルで電車に乗らないで欲しい」と、いつも子供から言われますが、一番楽な服装だと思いますが、、、。皆さんはいかがですか?
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    首にタオル、草履、まくり上げたズボン

     
  • 5月21日(木) (美味しい甘夏だらけで〜〜〜す)
    5月10日から10日間、萩市に帰省し、滋賀県に帰ってきました。
    その間、友人の家で、甘夏を収穫しました。
    多くの方が、「萩市で一番美味しい甘夏だね。」と言うほどです。
    甘夏の収穫時期は、連休までくらいです。と言うのも、その時期になると、来年実を付ける花が咲くため、木から落としてしまうのです。また、暖かさが続くと、甘夏を虫がかじったり、実も少しづつカスカスになってくるのです。
    いただく代金を払い、落とす甘夏をいただくのです。持ち帰らず、地面に落とすだけとなった甘夏も随分ありました。もったいないなと思いつつ、落としました。
    収穫した甘夏は、親戚や友人にも随分差し上げたり送りもしましたが、約200kgは、滋賀県まで持ち帰りました。
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    自宅に持ち帰った甘夏

     
  • 5月 3日(日) (野採いっぱいのチャーハンで〜〜す)
    畑の玉ねぎ、ニンジン、ネギ(地中深くある白い部分が中心)、自生わさびの葉、シイタケ、隼人瓜等を材料に味付けをして作りました。
    量が多いと、油で炒めてタッパーに入れて冷凍しておきます。
    野菜サラダと共にビールを飲みながら、美味しくいただきました。
    昨年11月に収穫したもので、いまだ傷んでいません。ポテトサラダに、冬場のキュウリ(高い)の代わりに使用したり炒めたり、漬けものにしたりして、とても重宝な屋才です。)
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    具たくさんのチャーハン(隼人瓜も写っていますよ)

     
  • 4月29日(水) (コゴミのてんぷらは最高ですね)
    4月中旬のコゴミ「自然のコゴミ」を新聞紙に包み、エビと共にてんぷらにして食べました。
    さすが「山菜の王様」ですね。灰汁はなく、炒めても、サラダでもいいし、結構長持ちがしますし、言うことなし。
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    二皿目のコゴミのテンプラ???(クリックで拡大)

     
       
  •  3月24日(火) (昨日、美山は雪でした。家の中で自分が将来、寝たきりになることへの準備をしていますよ、、)
    昨日は雪でした。寒くて、部屋でパソコンのデータを整理していました。
    先週までの二週間、一人萩に帰り、施設にいる父の話し相手をしていました。今年5月には100才になる父は、昨年、腰を悪くして施設に入っています。
    施設と言っても、ホテルを改造したもので、健常者も入居していると言う施設です。父は、自宅にいる時には、新聞を隅々まで読み、少しの畑仕事をして、ラジオを聴きながら昼寝をし、夕方、薪をくべながらお風呂を焚く。そして夕食を食べ、20時頃には就寝し、朝4時頃には起床すると言う生活でした。
    最近ですが、新聞は読んでいますが、読んでいる途中に、うたた寝をしたりするようになったり、同じことを何度も言うようになりました。それでも、言うことは、ハッキリとして、ボケてもいないようです。今回は、パソコンにダウンロードした戦前の映像、戦争直後の日本のカラー映像等、父にとっては、とても懐かしい映像を、32インチテレビの画面で見せました。すると、「昭和10年に行った、あの時の銀座だ。懐かしい。」、「戦後、教師として復帰した時、小学校の教科書は、墨で真っ黒にさせられた。」等と、昔を思い出していたようです。<
    それらの動きを見ていると、仮に、私が生きていると、いつか動けなる。その時に、何を楽しみにするのかを今考えて、たくさんの歌番組、映画、昔の映像、自分や家族、友達の写真等をパソコンに整理しています。動けなくなった時に、大型テレビで見て楽しみ事くらいしか、ないかもね、、

  • 2月17日(火) (「私と同じように美人スタイルの良さね」と、84才のお婆さんが、、、)
    一昨日、昔懐かしい昭和40年代の、元女子寮生と出会いました。40年以上が過ぎましたが、気持ちは、その当時に戻りました。
    昨日は、守山市の畑の大根を採りました。最後の沢庵を漬けます。
    収穫していると、近くの畑におられた84才のお婆さんが、ある私の大根を見て、「私の若い頃と同じような、きれいなスタイルみたい。」と褒められ??ました。
    その大根とは、、、、、、、、、。
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    すばらしいと、自分で感嘆???(クリックで拡大)

     
       
  •  1月 2日(金) (明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。)
    新春を、一人、故郷の萩市で迎えています。穏やかな平和な1年となりますよう念じています。しばらく冬の萩を満喫します。

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