2012年

  • 12月18日(火) (是非聴いて下さい。とても良い歌ですよ。)
    この数ヶ月間、毎早朝、ラジオ深夜便や、カセットに録音した上でCD化して「同じ月を見ている」(作詞作曲も谷山さん)を聴いています。
    心までジ〜〜ンとし、色々な人を想い出しては、その時々の出来事に慕っています。

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  • 12月14日(木) (車と衝突しました)
    1ヶ月前のこと。自転車で歩道上の交差点を直進し、右から来た乗用車と衝突しました。幸いなことに、相手の車のスピードが出ておらず、自転車の私は右足の軽い打撲だけでした。車はバンパーが傷つきました。

    事故現場
    事故現場です(写真をクリックすれば大きい画面となります)
    私は右の歩道を直進し交差点にゆっくり入りましたが、交差点に入る時、車線の左にある信号@(歩行者用の信号がありません)を見たつもりが、走行しながらAを見ていたようです。直進の人には信号@が見えないような位置にあり、右からの車などの信号Aだけが大きく見え、チラッと見ただけでは、必ず見間違うもので、私も直進の赤信号をAの青信号を見てしまったようです。事故を見て歩く人が、「ここでは、よく事故が起こるんですよ。」と言っていました。
    車にぶつかる瞬間、何を思ったかと言うと、
    「ああ〜〜おしまい!」
    でした。
    助かったので言えるのですが、人は、その瞬間、そのように思うのでしょうか。


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  • 11月 6日(火) (お年寄りにCDを差し上げて、感謝され)
    月15日の勤めも、来春には辞め、いよいよ懇願していた「毎日が日曜日」の世界に入ります。今の勤め先は月15日ですが、日額は結構もらっています。ありがたいことです。
    勤務では時間的に余裕があり、広い敷地の境界線辺りの草刈りもします。ある家との間にある溝の草刈りをしている時に、蜂に刺されて手が大きく腫れあがり、大変な思いをしました。これをきっかけに、この家の方と親しく話をするようになりました。
    ある時、歌が好きだとの話になり、フェンス越しに、昔懐かしいCD(トップページの「管理者」をクリックすると、どのようなCDかが、記述されています)を差し上げると、その後、毎日、そこから鼻歌が聴こえるようになりました。
    ご主人さんを早く亡くされた75才を過ぎた方ですが、会う度に「ありがとう」と言っておられ、その後も戦前から昭和40年までの懐かしの歌をCD10数枚(1枚に20曲程度)に焼いて上げました。
    相変わらず、老人ホームにも持参しています。
    何かを差し上げて、その方が本当に嬉しそうにされている姿を見て嬉しくなり、そして後日改めてお礼を言われると、更に嬉しくなり、また何かしてあげると言うおじさん(おじいさんかな?)です。
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  • 10月 5日(金) (真夜中の「落葉のコンチェルト」に聴き惚れて、、、)
    午前2時5分からのFM「ロマンチックコンサート」で、アルバート・ハモンドの「落葉のコンチェルト」(10月1日の法律改正により、YouTube等では聴くことが制限されています。悪しからず。)が流れ、ヘッドホーン をあてて、ボリューム一杯にして、ただ聴き惚れていました。いつ聴いても、本当にいい曲ですね。

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  •  9月11日(火) (ネットに、とても残念な発言があったと記述されていました。恥ずかしいことです)
    いつものように3時前に起床し、まずお茶を大きい茶碗に2杯入れ、ラジオでFMを聴く。ネットでより多くのニュースを見ます。その中に母校の残念な記事があり、恥ずかしい思いをしましたので、敢えてここに載せました。「誇りと品格なきチームに明日はない!」

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  •  8月17日(金) (まだ、一人で大丈夫だ、、)
    本日、滋賀県に帰り、また石田家住宅に行きます。昨夕、食事をしながら98才に向かおうとする父親に、「まだ一人生活で大丈夫かい?」、「まだ、歩けるし、用心をすれば大丈夫だ。」と言っていました。大変気にしていますが、言うとおりにせざるを得ません。

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  •  8月14日(火) (どうしても石田家住宅が見たいと電話。でも、萩市に帰省しているので、、)
    携帯に電話がありました。
    「石田家住宅を見たいのですが、、」、
    「すみません。今、萩市に帰省中です。土日なら開いているのですが、、、」、
    「無理ですか。神奈川県から来ており、見たいのですが、、、」、
    「どうしてもですか?そうであれば、石田家住宅の近所の方で、鍵をお持ちの方がありますので、連絡して特別に開けてもらいましょう。」、
    「ありがとうございます。」
    90才の方にお願いするため電話するも出られず、見学者の携帯に電話した。
    その方が、「その家に来ましたが、鍵がかかっています。残念ですが諦めます。」、
    「ご希望に沿えず、すみません。」

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  •  7月26日(木) (ドジなことをしでかしました)
    月15日の勤務ですので、まとめて休みを取得し、7月15日から23日まで美山で一人、除草、間伐、畑作業、大工仕事等をしました。今回、大きなドジをしでかしました。
    20日(金)雨が降り、外の作業ができず、壊れたままの郵便受けを新規に作成するため、木を工作していました。カンナをかけることが何度かあるため、電気カンナを使いました。ある側面を削るのに、不安定な状態でしたが、カンナをかけました。危ないなと思いつつ削っていると、右手で持っていたカンナが滑り、左手に当たってしまい、左手親指の付け根をカンナで削ってしまいました。直後に血が吹き出てきたので、近くにあった紐で手首に巻き付け止血をしましたが、簡単には止まりませんでした。救急箱からオキシドールとガーゼ、そして傷薬がなかったのでオロナイン軟膏をつけ、ただ止血するのを見ていました。
    不思議なことに、相当の痛みがあるはずが、そうでもないので、「神経が損傷していない、骨に損傷がない」ことが、何となくわかりました。とにかく、暑い時でもあり、バイ菌だけは寄せ付けないとの思いで、何度もオキシドールを吹き付け続けました。それでも、缶ビールだけは飲むという、不敵な行動をするワイルドおじさん。そして、風呂を沸かして入るわ、なおビールを飲むわ、困ったおじさん、でも今はおじいさんです。
    痛みを感じながらも、酔って、うつらうつらで多少の睡眠は取ることができたようです。翌日も痛みが続くため、土曜日でしたが、医者に行こうと決めました。
    でも、美山町の診療所は、土曜日で医者がいない。車で10分の和知診療所に行っても、休診日。そこから車で30分の須知(しうち)に行っても、医者がいない病院。仕方なしに、園部町に車を走らせ、園部警察署に飛び込む。「園部にもありませんので、八木町の南丹病院に行って下さい。」と言われ、また車で時間をかけて移動。やっとのことで受け付けに行くと、 「今日は外科の医者がいません。」。「内科でもいいから見るだけみてもらいたい」と依頼をし、やっと受付を終えて診察してもらいました。
    身も手の皮もなくなり、凹んでいて、「身が盛り上がるのを待ちましょう。」と言われてしまいました。
    思い起こせば、少々前のことですが、チェーンソーを使用している時に、左親指の第一関節の先端の半分まで切り入ったことがありました。この時も、衝撃的な痛みを感じなく、ただ止血と消毒を続けただけで、身が盛り上がるのを待って治してしまったことがありましたな〜〜。この時は医者にも行かずでした。困ったおじいさん〜〜〜。

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  •  7月 9日(月) (Tさん、小沢昭一の歌で笑って)
    8日(日)は、終日Tさんの畑にいました。前に、ジャガイモを収穫した後を耕運機で整地しておいたら、先日電話があり、「整地した所があれば欲が出て、オクラを追加して植えました。」と言われた。無理にならない程度で、もっと欲を出して欲しい。それが気持ちの面でも、良好な方向になるのではないかと思いました。
    「病気には笑うことが効果的」と言われています。ご夫婦だけの生活では、笑う機会も少ないと考え、昨日は、小沢昭一の面白い歌の数々をCDに焼いて持参しました。聴かれると、きっと笑えてくると思います。私も何度聴いても笑っています。

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  •  7月 4日(水) (TさんにCDを届けました)
    それらの曲は、「管理者」の、ページの最後の方のエクセルのファイルにあります。団塊世代以上の年令の方には、とても懐かしい曲ばかりです。是非ご覧下さい。これらにより、Tさんが癒されることをお祈りしています。あれから毎週のように草刈りや耕作のお手伝いに行っています。ワクチン投与後、一時調子が悪かったのですが、少し調子も良くなったようです。
    がんばれ、Tさん!

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  •  6月21日(木) (抗がん剤により体調が悪くなられました)
    Tさんが抗がん剤による治療を始められましたが、体調が悪く、極力、広い畑の手伝いに行っています。自宅で横になることが多いと聞きましたので、先日来、気を紛らわせてもらうため、小生がパソコンに保存している音楽を、CDに焼き始めました。詩吟をなさっておられたようで、きっと音楽は、一時の癒しになると思います。

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  •  6月 5日(火) (癌を感じさせず、ひたすら畑仕事をされる姿に教えられるものが、、、、)
    2日(土)、3日(日)の午前中、スイカの畝作りや果樹園等の除草に手伝いに、Tさんの畑に出かけた。途中の休憩時に、病状を話された。
    「癌は、胃、子宮、大腸で、それぞれ数年間の間に転移し、手術をしてこられた。まだ腹膜に癌の芽が数カ所ある。その除去手術をするならば、人工肛門になるが、人工肛門が嫌なので、抗がん剤等で治療をする選択をした。」と、淡々と話された。話が終わると、「さあ、仕事をしよう。」と、何も無かったように、一生懸命、畑仕事に精を出しておられた。
    お一人で癌と立ち向かうその姿は、私に「ひたすらに使命感に帯びたことをやると言う生きる姿の美しさ」を感じさせる。その姿を見て、これからも少しでも手伝いをしてあげようと、心から思いました。

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  •  5月28日(月) (癌の進行度:ステージ4の奥さんの畑の手伝い)
    先日、友達の友達で、還暦を過ぎて癌の手術を二度され、進行度ステージ4を宣告された女性が、広い畑をされている話を聞きました。手術直後でも畑が気になるけれど、力が出せず入院中の友達に助けを求めたようです。
    「相談にのってあげてよ」と言われ、昨日昼、美山から返り次第、その方の自宅へ行きました。御主人は脳内出血で倒れ、手足が不自由で、畑仕事を奥様が一人でしなければならないが、術後でどうしようもないようでした。畑に出向いて、指示により、畝作り等を手伝いました。「来週、土日に時間があれば来てあげましょう」との言葉をかけると大変喜んでおられました。よかった。

  •  4月25日(水) (散歩道のゴルフ練習で、おじさんが怒る)
    前から、いつ言おうかと思っていた、瀬田の唐橋近くの散歩道でのゴルフ練習。昨日昼休みに、瀬田の唐橋の近くで昼食を取ると、いつものように、「japan black鉛」の社員が、ゴルフの練習をしていた。ゴルフ玉は、ゴムだろうと先日まで思っていたが、瀬田川に落ちた時に、ポチャンとしたので、ほんまものやと気付きました。それを公道で打っているのだから、注意しようと思っていました。
    今日、70才前のご夫婦が散歩され、男性が「危ないじゃないか。社会のルールを知らないのか。」と注意をして過ぎ去りました。
    しばらく様子を見ていましたが、ご夫婦が通り過ぎると、また打ち始めていました。よっぽど言おうかと思いましたが、昼休憩が終わりになるのか、練習を止めてしまいました。もう止めてよ。

    止めてよ
    止めて欲しい。(写真をクリックすれば大きい画面となります)


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  •  4月17日(火) (黄砂がすごい? いや違う  これは花粉だあ〜〜、、、、、)
    昨日、石田家住宅から滋賀県に帰る途中、山々を見ていると、黄砂かなと思ってしまった光景でしたが、走りながらよく見ていると、杉の木立から、白い粉が舞い上がっていた。全ての山々の杉花粉が、ものすごい量を吹き上げていた。黄砂ではありませんでした。

    山全体が、こんな調子で、車が道路を通過する時、砂埃ではなく花粉埃でした、


       
  •  4月 5日(木) (音楽家で、高校時代は「いたずら好き」の同級生から約40年ぶりに電話で声を聞く)
    中学校からの友人の宮原豊君から、突然電話があった。彼は、国立音楽大学を卒業して、ウィーンに行ったようだ。日本に帰国し、萩市の実家に電話をして、小生の電話番号を聞いたらしい。寝込んでいたので少しだけの話に終わった。
    彼は、とてもいたずら好きで、こんなことがあった。           
      高校時代、彼の自宅の部屋で寝込んでいると、いつの間にか、マジックでお腹や背中等にいたずら書きをする。書かれた者は、お風呂に入る時に初めて気が付く。
      高校では、「音楽」か「美術」を選択しなければならず、彼も小生も「音楽」を選択していた。教師は垰(たお)先生で、背の低い方でした。
      入口のドアを少し開けて、チョークの粉をたくさん付けた黒板拭きを、上の方に挟む。背の低い先生はそれに気が付かず、ドアを開ける。上から黒板拭きが落ち、先生の頭に当たり、白くなる。
      これが成功した時に、先生は怒った。「誰ですか?」と問い正すが、誰も何も言わない。
      そうそう、「私は美人です」とノートに書いて、セロテープで張ることができるよう準備をしておく。授業が終わり彼が垰先生の後を追いかける。そして、つまづいたようにして、先生の背中にノートを貼り付ける。先生は、「私は美人です」を知らず、生徒に笑われながら廊下を歩いて職員室に戻る。

       
  •  3月31日(土) (自治会の長の役割も今日で任期終了)
    何の行事もない自治会でしたが、代表の役割も今日で終了します。やれやれ。
    「行事が何もないって、どうしてなの?」:どうも、昔、住民同士の間で、色々とあってから、年3回の清掃作業だけのようです。
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  •  3月31日(土) (「去る者を追わず、来る者を拒まず」)
    どうだろうか。9年前に元会社を辞めて以来、この一言を信条にしてきました。
    「また連絡します」等と、相手の方が言われて期待しても、何も無い人の多いことか。それでも、こちらからは連絡つけることができる人でもしていません。                                
    軽く言った言葉であっても、「〜します」は、その気があればすることのできるものです。でも、されないのは、その気がないのでしょうと思っています。
    小生は、軽い一言の約束を実行するため、返って嫌われることがあるかなとも思うことがあります。
    でもいいや。「去る者を追わず、来る者を拒まず」

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  •  2月27日(月) (美山の本宅の瓦が、雪の重みで割れていた〜〜〜)
    先週一週間、美山にいました。1月に行って以来でした。
    今年の大雪で、石田家本宅の一階の瓦が、たくさん割れてしまいました。雪の重みか、二階から一階の屋根に落ちた衝撃かは不明です。応急処置として、昔から瓦がたくさん置いてあるので、それを使って補修しました。
    道路のすぐ上の竹は、たくさん折れていたので、1日かかり整理をしました。
    いつも思いますが、山の手入れは、本当に大変な仕事が、1年中私を待っています。

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  •  2月12日(日) (塩分少なめの味噌を作りました)
    1年に1回の、恒例の味噌作りをしました。
    「大変でしょう、、」と、皆さんから言われますが、実は簡単なのですよ。誰でも、自宅ですぐに出来ます。その作り方を披露します。
    今回の材料(大豆:1升、麹:3升、塩:650g(大豆、麹と混ぜて使うもの)および1kg(味噌の上に乗せる)、桶(プラスチック製でも可。桶であれば、真正の醤油が出来ますので、桶の下にあるコックから採取できます))
    *(注意事項)雑菌が混入すると味噌が腐りますので、材料に手が触れる前には、必ずお湯で手を洗い、その都度新しいタオルで拭くようにして下さい。
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          麹を購入して、塩を混ぜて、よくほぐします(大豆は、鍋でやわらかくなるまで煮ておきます)
    大豆をつぶすミンサーという機器(肉をミンチにしたり、ソーセージなどを作る時にも利用できます)にかけます。すり鉢でつぶしてもいい。
    ミンサーを通した大豆
    大豆と麹を混ぜる時には、水分(大豆を煮た時に出る汁)を補充します
    しっかりと混ぜ合わせます
    桶の中に新しいナイロン袋を入れて、先ほどの味噌の元を、投げ入れます(味噌の中の空気を出すため)。全て入ると、麹(塩を混ぜたものを、事前にコップ1杯分くらいを除けておきます)を味噌の上に万遍なく降りかけてナイロン袋を閉じ、桶の蓋をします。(写真をクリックすると、大きい画面になります)
    その上にナイロンを敷いて新しいタオルを敷き、塩1kgで味噌を密閉して桶の蓋をします。
                       
  • こうして、湿気がなく、夏でも比較的温度が上昇しない場所に保管しておきます。9月ころには、食べることが出来ますが、2年物も美味しくいただいています。塩分少なく、添加物が入っておらず、とても美味しくいただいています。

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  •  2月10日(金) (「後1年、勤務してもらえませんか?」に、随分考え込んでいます)
    この3月で、月15日の仕事を辞めて、本格的に美山での生活に本腰を入れようと作年9月より方向付けをしてきました。
    「来年3月まで、仕事をしませんか?」と言われ、今日返事をすることになっています。
    これから75才までの10年が、人として動ける最後の人生の十分の一を、月15日と言えども、何か拘束されたような自由人でない生活をどう考えるか。思〜案〜中〜〜〜

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  •  2月 6日(月) (漬物をたくさんの方にあげました)
    昨日、1月8日に漬けた沢庵、白菜、日野菜の漬物を、近所に差し上げたり、親族や友人に発送しました。
    大量に漬けておらず、少なくてすみません。少しでも喜んでいただければ、それで満足です。

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  •  1月30日(月) (元同僚が「NHKのど自慢」で見事高らかに鐘を鳴らす)
    昨日のNHKのど自慢は、滋賀県守山市で行われた。出場者を見ていると、なんと元会社の同僚がいるではないか。これは見なきゃ。彼は見事な歌いぶりの人だったが、やはり歌唱力は素晴らしく、見事鐘が高らかになった。曲目は「砂時計」といい、とても抒情的な歌だ。彼のレパートリーはとても広く、人を魅了させる。おめでとう。
    何か嬉しくなり、おめでとうと喜んでいることを伝えたくて葉書を書いたが、住所がわからない。仕方なく自転車で自宅に行って、ポストに投函してきました。

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  •  1月15日(日) (ランニングしていると、いつの間にか8kmも)
    いつも早朝6時前からランニングで3〜4km走っていますが、昨日は16時から走った。
    調子良くラジオを聴きながら走っていると、いつの間にか4kmを越えてしまった。雨雲も出てきたので引き返したが、8km強走ってしまった。
    57才から始めたランニングですが、次第に距離が延びるようになってきた今日この頃です。

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  •  1月 9日(月) (年賀状の返信をいたします)
    毎年のことですが、1年に一度の交信する大事な年賀状ですが、裏書された一言には、質問があったりすることもありますが、そのままになったりすることが大半です。たまに返信が翌年になることもあります。
    今年から、要すればできるだけ早く、返信をすることにしました。

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  •  1月 9日(月) (裏書きのある年賀状が少なくなりました)
    約10年位前から、印刷されただけの、心の通わない年賀が数年続くと、年賀状のお断り(親族や、障害をもたれ記述が不可能な方々を除く(この方々には「返信は不要ですよ」と記述))をしてきました。
    今年も何枚かはありました。来年からは、多分差し出さないかと思います。差し出さないのは失礼と言われる方もおられます。
    でも何年間も、宛名を始め印刷されただけの年賀状をいただくのは、書状を差し出される方の、心の寂しさを感じとってしまう(過去に、友人は亡くなっているのに、遺族の方のチェックミスからだと思いますが、年賀状をいただいたことがありました。とても悲しい年賀状でした。)からです。

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