2011年

  • 12月27日(木) (石田家住宅を訪問された方が、HPに記述され、顔写真まで出ていたのを発見しビックリ!!)
    12月23日から27日朝まで石田家住宅にいましたが、毎日雪で、一昨日は一晩で50cmも降りました。暇に任せてインターネットで色々な情報収集をしていました。
    石田家住宅に関連するHPをたくさん見ていると、平成22年6月に、あるグループが来られました。その時の小生とのやり取りが詳しく記述してあり、一緒に撮った写真まで掲載してあり、とにかくビックリしてしまいました。写真は恥ずかしいので紹介しませんが、記事は次のとおりでした。
    (一部、大原神社の記述は省略しました)
    江戸時代に庄屋を務めた石田家は、日本最古の農家として昭和47年に国の重要文化財の指定を受けた。昭和48年の解体修理の時、桁の墨書に「慶安三年(1650年)三月十一日」と記されているのが見つかり、日本最古の遺構として貴重な家と評価された。
    「石田家住宅見学者駐車場」と書かれた立て札がある小さな駐車場に車を停めて、 はて?石田家住宅はどこかいな? と探していると、小さな掲示板にA4サイズの案内書きがあるのを発見。その横の路地の奥まったところに古びた茅葺の住居がある。これが「石田家住宅」。建物は、典型的な初期の北山形民家。内部公開中なので中に入ってみる。内部は全て板壁、戸は片引きの板戸、台所のかまどや納屋、畳敷きの座敷など360年前の暮らし向きがよくわかる。
    ふと見ると“火吹き竹”で囲炉裏の火を熾しているおじさんがいる。話しかけると、この住宅の管理人で二週間に一回程度、囲炉裏に火を入れにくるらしい。この人、山口県萩市の出身だと言う。 「長州と言えば桂小五郎に高杉晋作・・・」と言ったら、このおじさん食いついてきた。高杉晋作の生家の3軒隣に住んでいたと言う。
    昭和22年生まれ、なんと!あたいと同い年。同じ団塊の世代、何となく親近感が湧いてくる。ネットつながりのグループだと言ったら興味があるらしく親しく話かけてくれた。今は訪れる人もなく、境内の木々に囲まれてひっそりと佇んでいる。
    その内「ちょっと待ってて、冷たいモン持ってくる」と言って離れに行った。しばらくするとお盆に半透明の液体が入ったグラスを6個乗っけて持ってきた。「何ですか?」と聞くと「まぁ飲んでみ!」。
    恐る恐る口を近づける。どうやらアルコールは入ってないようだ。一口飲むと冷たくて甘くて美味しい! 「梅ジュース?」「グレープフルーツ?」何だろう?
    種明かしは・・・「夏みかん」。これにまつわる話は古く明治維新に遡る。封建制度の崩壊で職を失った武士が生活の糧に庭に夏みかんを植えるようになった。 今では夏みかんは萩の名物になっているという。
    その夏みかん(管理者の注釈:2月頃の、まだ酸っぱい時のみかん)を絞って裏ごしし、砂糖を加えてコトコト煮詰めること6時間、夏みかんシロップが出来上がる。 それを水で6倍に薄めたのがこの飲み物。
    「夏みかんジュース」を飲みながら、おじさんの身の上話やら、芸は身を助ける話やらで盛り上がる。 熱く語るおじさんの手には、いつの間にか発泡酒「金麦の夏」が握られていた。 おじさん、自分で自分のことを「バーブ佐竹かケーシー高峰」に似てると言う。あたしゃ後者の方だと思うのだが・・・。で、あたしのことを「長妻厚労相」に似てると言う。そうかなぁ?似てるのは眼鏡だけやないの?
    ちょっと寄り道のつもりが思わぬ展開、楽しいひと時を過ごせた。管理人さんに「夏みかんジュース」のお礼と楽しかった感謝の意を表して石田家住宅を後にした。
    ここでもまた心温まる人情に触れることができた。
  • 12月22日(木) (職場で「マナーが悪いのを見ても、注意されると危険ですよ」と言われ困惑して、、)
    インターネットのニュースに、次のような記述があり、それを見た同僚から言われました。「Sさんも正義感が強いので、よく忠告をされていますけれど、注意するのは正しい行動かもしれませんが、このようなことが起きたら大変ですよ。。。。」。。。。
    (記事)信号無視の男に注意した男性 殴られ死亡
      東京都品川区で11月、信号無視をした男に注意した男性が殴られ意識不明になっていた事件で、男性が入院先の病院で死亡したことが21日、分かった。警視庁大井署は容疑を傷害から傷害致死に切り替え、殴った男の行方を追っている。11月12日午後7時35分ごろ、JR大井町駅前のロータリーで赤信号を無視して道路を渡った男に注意したところ、男はいきなり殴りかかった。小牧さんは転倒して頭を骨折。意識不明の状態が続いていたが、今月20日夜に死亡した。   殴った男は30代ぐらいで、身長約160センチ。小太りで上下紺色のジャージー姿だった。数人の仲間と一緒だったとみられる。

  • 12月13日(火) (喪中葉書で知った大変お世話になった大切な、大切な元上司宅へお参り)
    元会社に入社した当時の上司であったT.F.さんが亡くなられたと、喪中葉書で知りました。
    「お具合が悪いけど散歩もしておられる。」と作年秋に友人から聞き、「近く行きます。」と連絡だけはしていましたが、行かずじまいになっていました。今から思えば、「そのうち行こう。」と思ったのが間違いでした。残念でなりません。
    12月11日(日)、綾部市に出かけてお参りのため、ご自宅を訪問しました。虫の知らせだろうか、年初め早々の一周忌ではなく、1か月早く供養をなさっておられ、ご家族皆様とお出会いできました。そのような時に玄関口を開けるのは失礼だとは知りつつ、お声をかけました。奥様、お子様たちから、「是非皆の中に入って一緒に供養して下さい。」と言われ、ご親族の中へ普段着で入らせていただきました。お写真を見ると、自然と涙が出てしまい、しばらく元気だった頃の上司を思い浮かべていました。
    昭和50年前半、1年の三分の二は出張の毎日で、上司と一緒に出張する時には、ワイフと子ども達が上司宅に泊まりで遊びに行っていた、とても仲の良い、家族付き合いをしてきた間柄でした。20数年前に退職されてからも、時折訪問いたし、また小生が社内で昇格したり異動があったりすると、必ず連絡して来られ、「一杯やろう。」と声をかけていただいていました。小生の生き方を、公私共に指導いただいた大先生でした。ありがとうございました。本当にありがとうございました。
    ご冥福をお祈りいたします。また必ず参ります。

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  • 11月29日(火) (注意して下さい。熊が出ています。)
    忘れていましたが、先週21日(月)、美山にいた時に近所で熊が早朝6時に出没し、柿木に登り全ての枝を落とし、その下で柿を食べていたようです。住んでいた方は、敷地内のことでもあり、ただ呆然と見るだけだったと言われていました。石田家住宅の敷地内にある柿木は、今年は不作でしたので大丈夫と思いますが、一昨年まで、柿の木の上に熊が登っていたと、毎年聞いていましたので、また出没するかも知れません。石田家住宅に来られる方は、注意をして下さい。

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  • 11月24日(木) (たくさんの野菜を無料配布)
    19日より、美山の生活でした。開墾した場所に様々な野菜の種を蒔き、野菜がたくさん出来ました。石田家住宅への訪問者に、「ご自由にお取り下さい」として、野菜を早朝採り、綺麗に洗って、大きなかごに入れて置いていました。やはり町中から見えた方が多く、青高菜、大根、白かぶ、赤かぶと、いつもまにか無くなりました。中には、マンションの人たちにと、出していたレジ袋に何袋も入れて持ち帰られ、次に欲しい方の物がなく、畑まで案内して採っていただいた方もありました。
    やはり無料であれば、みなさん持ち帰られます。次回は、更に大きく成長した野菜を出します。12月10日〜11日と、23日から数日間です。

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  • 11月05日(土) (開墾しました。今冬から、来訪者に野菜を上げますよ)
    10月28日から美山生活をして、予定した開墾を終了しました。前回開墾した場所には、肥料を一切使用しないまま今まで採取してきた種を蒔き散らし、蓮華草、菜の花を植え付け、それぞれに芽を出していました。今回は、新たに花の種を植えました。
    来春は、チューリップを始め、たくさんの花を見ることができ、蓮華畑で遊ぶことが出来ますよ(猪と鹿が荒らさない限り)。みなさん、おいでませ(萩市出身ですので、)。

    荒れ地を開墾した様子。小さな小川の向こう(トタンの向こう)は、今後も荒れ地か、、

    左の、3年前に開墾した畑は、トタン、ワイヤーメッシュ、防獣ネットで囲っています。


       
  • 10月27日(木) (朝の通勤時間帯で座ってカバンも座席に、いまだに置いているおじさん、、、、)
    いつも座っている場所とは違う車両に、久しぶりに乗った。自分のカバンも横に座らせているおじさんがいた。相変わらず置いている。私との間が空いているけれど、丁度カバンのスペースだけ人が座るのには足りないのかな?以前、注意しようと思いつつ、別の車両に乗り始めたので出来なかったが、今回はしようかなと考えたけれど、今日はデジカメを持参しており、先に写真を撮ってやろうと思い、そっと撮影した。(近くに女性がおられなかったので良かったけれど、あれに間違われる恐れも、、)                        

    カバンは膝の上に置くのがルールよ。


       
  • 10月24日(月) (萱で荒れた田んぼを20数年ぶりに1反以上開墾しました)
    開墾の状況は、来週写真で紹介します。

  •  9月30日(金) (東京六大学野球が始まり、また吉永小百合さんのことを思い出しました)
    明日から私用で関東に行きます。雨が降らなければ、神宮球場で先々週から始まった東京六大学野球秋季リーグ戦を観戦したいと思っていますが、今のところ雨のようです。東京六大学野球で、すぐ想いだすのは吉永小百合さんです。
    昭和40年代の初めですが、早慶戦の応援に行っていた時、早稲田大学が勝ち、肩を組んで、「早稲田の栄光」という歌を歌い終わった時に、吉永小百合さんも前列におられ、応援席から我々の方に向かって簡単に挨拶をされました。その後に、歌を歌いながら吉永小百合さんと肩を組んだ学生が、「吉永さんと肩を組みましたので、しばらく風呂にも入りませんし、着ていた物は洗いません。」と大声で話し、皆さんから大変な拍手が興ったのです。この時の純情可憐な吉永さんのお顔と情景を、東京六大学野球が開催される度に想いだします。そして、あの衣類は、まだ洗濯をされていないのだろうか??

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  •  9月27日(火) (琴奨菊がんばったね。)
    本当に長い間、あれほど終盤戦毎日相撲に夢中になったことはありませんでした。夢中になっていたのは、思い出せば小学校5年生の時(昭和33年〜34年の頃)でしょうか。山口県阿武郡(今は萩市になっています)田万川町江崎にいた頃です。散髪屋にテレビがあり、散髪屋の外からガラス越しに、柏戸、大鵬(いわゆる柏鵬時代)、栃錦等が活躍したのを見た時代です。琴奨菊の活躍に、胸が躍りました。

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  •  9月26日(月) (スズメバチの巣は、まだありますので注意して、、、、)
    雨が続いたりして、スズメバチの巣の除去が出来ずじまいになっています。もう滋賀県に帰ります。二週間後まで、誰も処理されなければ、訪問される方は、気をつけて下さいよ。その時には除去しますから。

  •  9月19日(月) (石田家駐車場入り口にスズメバチの巣が、、、、気をつけて)
    また美山の一人生活が始まった。昨日早朝、スズメバチの巣があるからと、近所の方に言われ確認をした。かなり大きくなっている。しかし、雨が降っており、すぐには処理が難しい。今日、風の具合を見ながらどうするか考えます。気をつけて。                        

    木の陰に                        

    「注  ハチ」の立て札をしました


  •  9月15日(木) (「先日、野菜を差し上げられたようですねと言われ、、、」ホームページをよく見ていただいている方でした)
    今週月曜日にお出会いした方から言われ、よくホームページを見ていただいておられることに感謝しました。直接そのように言われると本当に嬉しいものです。この方には、これから野菜をあげようと思います。いい方です。ありがとう。
    (おじさんは、こんなことにも感動するのです。)

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  •  9月10日(土) (エクスプローラーのバージョンの違いで「雑感」8月23日以前に番号が付され、画面も右半分だけよと言われ、、、)
    「8月23日以前の画面に、番号が表示された上、画面が右半分だけにしか表示されず、小さくなっている」との連絡を受けました。自宅のパソコン画面では、そのような現象はありませんが、事務所で見ると、確かにそうなっている。原因が分からず困っていました。友人に聞くと、パソコンのエクスプローラー・バージョンの違いによるのではないかと言われましたが、定かではありません。
    専門家に聞きます。ご迷惑をおかけしています。

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  •  9月 7日(水) (耕運機を購入しました)
    現在、地元で50坪と美山町で100坪の畑を耕作しています。次第に美山で居住する日数が増えるので、現地の耕作面積を更に100坪強増やす計画です。出来た野菜の大半は、石田家住宅の来訪者に差し上げようかと思っています。耕作するには、萱が生えている田んぼ(草刈りだけは、この20年間してきました)を開墾しなければなりません。萱は根が深いため、かなりの労力を要します。そのため、遂に耕運機を購入しました。購入はインターネットで行い、代引き(荷物到着時に現金支払い)にしました。
    楽ですね〜〜〜。

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  •  8月31日(水) (何度見ても、訴えかけています)私には、寂しいような映像です。
    【原発】監視カメラに作業員が謎の訴え」今、ネット上で、アップされた映像等が削除されている現状があることを、自ら閲覧していて感じます。「そんなことがあるの?」と思って見た映像を、しばらくして見ようとすると、削除されてしまったりすることが多々あります。何故か中国のようだなと思うことが、、、

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  •  8月24日(水) (今年は綺麗に咲いた鉄砲ユリ。萩の自宅の月下美人に劣らない美しさです。)
    石田家周辺に張り巡らした防獣ネット、トタンを破り、猪に球根を食べ尽くされた作年でした。今年は、コンクリート工事に使用されるワイヤーメッシュを加え、遂にユリを守りました。おかげで綺麗に咲き誇っています。しばらく、このユリと煙の出る萱葺民家とで、写真もたくさん撮影できます。以前、京都市内の方ですが、手前のユリと、その奥に見える煙の出ている囲炉裏を組み合わせた写真で、写真展で入選された方がおられました。綺麗なユリです。
    先日帰郷した時に、少し遅咲きの月下美人(年に数回。夜数時間の命のようです。それも葉っぱの一部から花を咲かせるのです。)を見て、感動しましたが、ユリもいいものですね。
                        

    石田家住宅周辺に咲いた鉄砲ユリ

                           

    見事に咲いた月下美人
    見事に咲いた月下美人(写真をクリックすれば大きい画面となります)

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  •  8月23日(火) (ハチの巣を料理する前処理に。ハチが生きている、、、オオオッ〜)
    昨日滋賀県の自宅に帰り、持ち帰ったハチの巣の取り出しにかかった。最初は、幼虫のハチだなと思い、順次作業を続けていると、大きくなった子どもだが動いているのがいた。しかも、今にも飛び出してもおかしくない物だった。冷蔵庫の氷が出来る程度のところに保管しておいたのだが、それでも生命力強く、未だ生きている。すばらしいと思いつつ、頭を潰して、刺されないよう処置をした。ハチの巣全てを処理し、炒めて食べる部分のみ冷凍にした。石田家住宅で、誰かとお酒を飲みながら食べたいものです。                        
                 生きている〜〜ッ???
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  •  8月20日(土) (スズメバチの巣を壊す)
    7月末、美山に来た時には無かったが、8月6日、本宅の一角にスズメバチの巣を発見した。早く壊さなければ巨大化すると処置できなくなるが、萩市に帰らねばならず、時間的に壊す作業が出来ず盆明けになった。
    今回来ると、少し大きくなり、かなりのハチが巣作りに一生懸命だった。19日夕刻、巣の下に刈り取った枯れ草を積み、他の場所にも同様な火種を準備した。風の動きを確認して、夕暮れ近くに点火した。
    突然、我が家を煙で襲撃されたハチ達は、時折小生に立ち向かうが、小生が煙の中にいるため、すぐに逃げる。燻されている巣にも関わらず必死で巣に近づいて守る行動をしている。なんとなく感激するようなシーンですが、そんなことは言ってはおられず、竹を使って巣を壊し始めた。巣が落ち、ハチの子(炒めると最高の味ですよ。販売もしていますよね。)が入った部分も収穫しナイロン袋に入れて冷蔵庫に保管した。ハチの動きが活発でしたが、今日の作業はここまでと判断して自宅内に逃げた。
    翌20日早朝確認すると、巣を無くした多くのハチ達が、残ったハチの巣の一部から修復作業を初めているように思えた。今日、再度根こそぎ除去することにした。石田家住宅見学者に危害が加わらず安心した。でも怖い行動でした。聞けば近所では専門業者に依頼して屋根裏であったため、十万円かかった人もいるらしい。今後も、二週間に一度帰ってくるが、枯れ木等を処分するために焼却するが、煙によって自宅内外にも煙が入るように努めよう。                        

    大きくなっハチの巣                        

    燻しを開始                        

    三カ所の火種に点火中                        

    巣の中のハチの子                        

    翌日、これを修復しようとしていたため、綺麗に除去した


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  •  8月15日(月) (同級生の父親を、本人と間違えて、「老けたな」と、、、。ごめんなさい。)
    自転車で萩市内を動いていて、ふと気が付くと長男の生まれた医院の前に来た。(ワイフが美山町なのに、何故、萩市内で子供が生まれる?と思われる方は、後半で説明します。)
    この医院の隣が同級生のY君の実家だ。ブロック塀から家の中を見ると、男の人がいて、視線があったので、自転車を止めて家の庭に入ろうとすると、先方からもこちらに近寄って来た。小生が「お〜い」と言うと、先方も「お〜い」と応えた。「Y君、元気かいな。かなり老けたな。」と言うと、「どなたですかいな?」と言われ、「もしかすると子どもの同級生ではないでしょうか?」と言われ、「そうでしょうね。そう言えばY君はここまで老けてはいないでしょうな。」と言った。「今年88才だけど、ゴルフは2ラウンド連続で回れるほど元気なんだよ」と言われた。元気で、とても若いお父さんでユーモアたっぷりの人だ。。(この年になると、色々錯覚や間違いだらけの毎日です。トホホッ〜〜、、)
    そうそう、忘れていました。子供がワイフの実家で出産しないわけ。このHPを開設した2009年の4月2日、この「雑感」に記述しています。驚かないで下さい。

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  •  8月12日(金) (運転12時間、疲れたな)
    早朝3時半に自宅を出て、10分で栗東インターを通過した。午前4時までにインターに入ったので高速料金は半額になる。
    道路情報掲示板を見ると、「宝塚〜大山崎 15km渋滞」だった。これが、30分過ぎの大山崎辺りでは、20kmとなり、梶原トンネルを過ぎた頃には、「宝塚まで90分」となった。結局、いつも(いつも、このようなお盆中より、かなり早く帰省している)は1時間で通過するところを、4時間半かかってしまった。その間、トイレも行かずですよ。二人だけ男性(私より年上かな?)が小便をしているだけでした。多分、暑いので発汗されて我慢できるのでしょうか??
    その後は大変順調でしたが、、、。と思いきや、広島県に入りトンネル入り口付近の事故

    で、約1時間停滞しました。
    疲れ果てたパーキングでは、

    カラスが一生懸命に食べカスをあさり、生命をかける動きをしていた。暑いのにな〜〜。
    出発から萩に着くまで12時間。休憩時間を除いても、11時間の運転でした。


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  •  8月11日(木) (遂にエアコンが、、)
    冷房嫌いな小生ですが、昨夜は夕食後も気温の低下が感じられず、かなりの暑さで、遂にエアコンのスイッチに手が行きました。
    毎日3時前に起床して、2リットル以上のお茶を飲んでいますが、昨夜は夜も飲んで水分補給を何度もしました。老人はお互いに注意しましょう。

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  •  7月25日(月) (御着(ごちゃく)城に行く)
    作年8月亡くなられた故A氏の一周忌にお招きいただき、初めて姫路の近くの御着に行きました。御着駅は小さな駅で、町の名所は御着城くらいのようでした。故A氏は、昔統治をしていた御着城主の末裔でした。当日、一周忌に来られていたI氏は、「町では、御着城とも大いに関係ある「黒田孝高(よしたか)(官兵衛のちの如水)」を、NHKの大河ドラマへの起用を推し進めていると話されていました。これが実現すれば、A氏の名字もクローズアップされるかもしれません。一周忌は納骨を終えて無事終了しましたが、もう一度は必ずお墓参りに来ることを墓前で約束しました。

  •  7月18日(日) (アンプとギターマイクを購入)
    一昨年、学生時代以来初めてギターを購入した。前に勤務した会社では、入社以来10年間、エレキバンドクラブに所属していました。合間には、古いギターで、女子寮の希望者数名にギターを教えていた。ギターは、それからずっと持っていたけれど、たわみもあり音が乱れるようになり使用できなくなっていた。それを一昨年新しく購入した。今回、ギターマイクとアンプを購入した。一人石田家でギターを弾く時に、ベース音やリズム音があれば、グループで演奏している感じが増すので、欲しいなと思っていて、遂に購入しました。
    今日から、山の中で演奏しながら歌います。

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  •  6月30日(木) (また猪が畑を荒らす)
    魚の処理を終えて畑を見に行きました。またもや防獣ネットが破られ、トタンとトタンの隙間をこじ開けて入ったようです。二週間前には、長芋25本を食べられましたが、ジャガイモはどうにか残っていました。しかし、今回はジャガイモは全て食べられ、トマトもかじったようです。ちきしょう〜〜ッ。
    今日はこのままにして、進入口付近に「粉砕した唐辛子」を降りかけておこう。
    翌日朝、確認すると、進入していませんでした。とても効果はありますが、いつもいるわけではないので、またもや修理をしました。本当に、これが「イタチごっこ」です。

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  •  6月30日(木) (小アジが1匹1円で500円分購入)
    6日間の休みでもあり、小浜漁港でサビキでもして小アジを釣る予定でいた。波止場にあるいつもの魚店に立ち寄った。時間は9時を過ぎていたこともあったが、魚は少なかった。10軒程度の店のうち、ある店だけで小アジがあった。トロ箱に数百匹の小アジが500円だった。多過ぎるが、美山の独居世帯に天婦羅用として差し上げようと思い、購入した。美山についてからすぐに処理しなければならず大変だった。結局、1時間以上の時間を要した。                                

    これだけの小アジを                                

    頭と内臓を取り出す                                

    小アジが少しだけ小さな魚を餌にしていました


       
  •  6月25日(土) (実録物語に感動し、頬が、、、)
    大型画面で映画を見て画像にくぎ付けになりました。気が付くと涙がこぼれてきました。そうさせたのは、
    「モンテンルパBC級戦犯を救ったメロディ」という実録物語を見たからです。
    罪なき死刑囚100数名を救った歌手の渡辺はま子さんは、戦前からの歌手でした。戦後、モンテンルパの死刑囚が作詞作曲した「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌い、大ヒットさせ、108名の死刑囚を救った物語です。
    古い実録物「モンテンルパBC級戦犯を救ったメロディ」で画像は悪いのですが、とても感動の映像だと思います。全部で12回分ありますが、是非見ていただきたい作品です。ちなみに小生は、Your tubeからダウンロードしてファイルを保存し、パソコンから大型TVにケーブルで接続し連続で見ました。

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  •  6月12日(日) (遠くともお世話になった方の墓前に)
    先日夕刻、益田市の姉御さん(昨年4月29日にも記述)からワイフに電話があり、途中で小生に代った。この人は、小生が昭和45年、前の会社に入社し、工場配属時の女子寮(約900名)自治会長で、その当時の男子寮自治会長であった故Wさんのお墓参りの話をした。
    私は、故Wさんから、人としての生き方のようなものについて教えられ、私自身の生き方に大変貴重な指針を与えていただいた方でした。
    今年4月末、萩に帰省する時に、室戸岬を回り高知県から、八幡浜市、大分県の臼杵市(石仏を見る)、竹田市(岡城にて「荒城の月」を歌う)、湯布院、中津市(我が母校と六大学野球では宿敵である慶應大学創設者の福沢諭吉生誕の地を訪問)、耶馬渓(青の洞門を通る)を経由し、ノンビリ帰りました。
    旅の大きな目的は、故W氏の墓前(八幡浜市)に参ることと、私たちの仲人であった故人が戦前勤務され、何度も話をきいていた臼杵市に立ち寄り故人を忍ぶこともありました。
    故W氏とは、工場でエレキバンドを組んでいて、会社の行事がある都度、演奏をしていました。もちろん仕事の面でも関係も深く、常に一緒にいたような思いがある工場の生活でした。30年くらい前に墓前にお参りをしましたが、60才を過ぎて、もう一度はお墓参りをしたいと考え、今回の旅路の目的場所にもしました。多分、またいつかは行くだろうと思いましたが、一つの思いを果たしました。

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  •  6月 4日(土) (たくさんの魚の味噌漬け)
    金曜日、小浜漁港経由で美山に行くことにした。小浜漁港の近くで、10軒くらいの店がひとつ建屋(フィッシャーマンズワーフの向かい側)で、セリで落とした魚をとても安く販売している。旅館、ホテルあるいは料理店などの人が買い付けに来るが、一般客も購入できる。
    店先に並んでいる魚を見る限り、漁はなかったかなと思われるほど、魚が少なかった。それでも、一つの店で、「定置網に入った取れたての{つばす}ですよ」と、客に声をかけていた。1匹30cmもあったが、180円なので、10本購入した。
    いつも、三枚卸しにし、石田家の近くの方々に、お刺身を振る舞うのが恒例であり、今回もそのつもりであった。捨てる部位は全くないほど、全てを料理する。胃袋は餌類を絞り出して煮付けにして、酒の肴にすれば、これが最高のものだ。
    胃袋を絞り出すと、小魚に混じって薄青いものが出てきた。自然の餌ではなく、養殖で使う餌のカスだ。
    店の人は定置網に入り今朝水揚げしたと言っていたけれど、どうも養殖魚だ。あのような店でも嘘を言って売るの????
    仕方なく、すべて味噌漬けにすることにした。お酒、味噌、砂糖で調味液を作って、魚を浸し、約12時間程度から24時間くらい冷蔵庫で寝かす。終われば、1枚1枚ラップに包んで冷凍にする。そして必要な時に解凍して食べる。
    石田家の訪問者にも、気が合えば差し上げています。
  • 20枚になった「つばすの味噌漬け」

    手作りラップ台からフィルムを出す(フィルムも、元会社の試作品です)


       
  •  4月21日(木) (二人に手紙を出しました)
    一人は大学時代のゼミ仲間で、もう一人は3月まで同じ職場にいた30才代の女性です。
    ゼミの友人は、卒業以来、賀状も交わしてきた。彼は必ず、自筆で一言記述する人で、これからもずっと「会いたい」と思う人です。いつもありがとう。会社の役員を辞めた挨拶状でした。これからが人生です。がんばって下さい。
    女性は同じ職場にいた人で、3月に退職しました。最後の出勤日に、小生の机の中に置き手紙を入れていました。とても楽しく会話ができた、野菜をあげたこと等のお礼の言葉が、自筆(パソコンなどで打ったものではない)で便箋2枚に書いてありました。パソコンは、かなりの腕なのに、自筆で書いてくれたことに大きな感動を覚え大変嬉しく、住所がわからず再就職先へ差し出しました。ありがとうございました。機会あれば、また野菜や漬物を上げますよ。

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  •  4月19日(水) (石田家住宅として、義捐金を出させていただきました)
    地震に対して寄付させていただきました。

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  •  3月16日(水) (地震のこともあり、しばらく更新を中止します)

       
  •  3月 9日(水) (パック商品でありながら、gで表示する商品は、年寄泣かせよ)
    食料品で、トナー等で包装し、値段が大きく「100g 100円」等と表示され、「安いな」と思ってレジに行くと、値段が500円でしたということが何度かあった。
    よく見ると、「100g 100円」との表示と共に、「500g入り 500円」と、小さな表示がある。
    この100円表示は、人の目をごまかしてやろうという商売の方法だと、いつも思っています。注意しましょう。

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  •  3月 8日(火) (100円ショップは割高商品があります)
    昨年3月に煙草を止めてから口が寂しくなり、よく飴を食べます。買うのはコーヒーとミルク飴が多いかな?
    先日、スーパーH堂にある100円ショップでコーヒー飴のグラム数と金額を見ると、80gで105円でした。階下のスーパーH堂でも同じ商品を売っています。でも、金額が155円でしたので、今まで買いませんでしたが、よく見ると、150gで155円でした。
    なんだ、、。100円ショップの方が割高じゃないですか。よく見て買い物をしましょう。

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  •  3月 5日(土) (陳列棚が違うと値段が大きく違うことがあります?)
    昨日昼休みに、彦根市に本社を置くスーパーH堂で買い物をした。レジで待っている時、レジ横にあった毎日噛んでいるガム(Cloret’s)(150g)をみると、785円であった。本当にそうだろうかと疑問に思い、清算を終えて、奥の陳列棚も見た。そこには全く同じ製品が、658円と表示されていた。???
    こんな大きなスーパーでも、こんなことがあるのですね。。ちなみに、このガムは、ある店で、590円で販売してま〜〜す。

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  •  3月 2日(水) (6時前には、しらじらと、、)
    次第に夜が早く明けるようになりました。嬉しい季節に次第になっています。
    毎年の事ながら、冬至が来ると少し嬉しくなります。昼の時間が長くなるからです。でも夏至からは、少しづつ嫌な気分になります。とにかく、太陽の元で活動する時間がより多く欲しいのです。退職して以来、その欲望がかなり強くなっています。
    月14日勤務していますが、早く「毎日が日曜日」と言いたいような気分です。

  •  2月23日(水) (「大地の味がする」との感想を聞く)
    1月から2月は、本当に多くの方に漬物、野菜を差し上げてきました。ようやく畑の野菜も少なくなり、温度が次第に上昇すると一斉に腐るので、急ぎ多くの人にあげています。
    味の感想を言われる人には再三あげるようにしています。仕事に関連する人が、日野菜の漬物の感想として、「大地の味がする」と、初めて聞く感想を言われた。みりんを使った調味液を入れていますが、少しだけ日野菜の辛みはありますが大変おいしく、その辛みが土を匂わせるのかな?まだあるので、またあげましょうかな。

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  •  2月14日(月) (花背峠は通行できない状態でした)
    5日目になり帰ることにし、花背交番に何度も電話するが出ない。花背峠から百井峠を通り、途中峠に抜けることができるのかどうかを確認したかった。仕方なく出発し京北町の交番で聞いた。でも把握しておらず、止む無くそのまま花背に入った。「まだ行ける」と思って進んでいると、途中で、路面の雪がテカテカに凍っており、横滑りをするようになった。これから、花背峠までは随分あるため、潔く諦めて引き返し、週山街道から高尾を通り京都市北部を通り、大原から途中峠越えで先ほど自宅に戻った。無理して花背峠に入っても、多分立ち往生したかもしれなかった。

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  •  2月11日(金) (萱葺民家の鍵が変えられ、番号合わせになっている、、、)
    木曜日を休みにして、来週月曜日も休むので、5日間、一人美山の生活だ。雪有る中を石田家に着いた。早速、茅葺の囲炉裏に火を入れ、室内と茅葺屋根を乾かさねばならないので、鍵を持って入口に行った。
    驚いてしまった。鍵が変わっているのだった。昨年3月に鍵を変更するとは聞いていたが、所有者に何の連絡もないまま、突然取り換えられていた。それも番号がわからず、民家には入れない。
    思い出せば、以前にもあった。土日に文化財の開け閉めをする人が、小生が取り付けていた鍵の合鍵を無くし、美山町教育委員会が取り換えて使用していた。その報告が、いつまでもなく、合鍵ももらっていなかったため、見学したいと来た友人を萱葺民家の中を見てもらえなかったことがあった。美山町教育委員会は、管理を委託して以来、何事につけて、このような調子で、所有者への配慮のない管理を行う。
    「それがお役所仕事よ。」と地元の人は言う。でも、地元にいる人は、その気持ちを決して直接には言わない。「言うと、その跳ね返しで、何を言われるかわからないし、何をされるかわからないので、、、。」だと言われている。
    未だに、そのような現実が、今もある美山町、、、

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  •  2月 9日(水) (懐かしさを覚えた名前でした。お若いのに、年齢の高い方を想い出してすみませんした。)
    8日、仕事で某所を訪問しました。初めて出会った女性ですが、とても話しやすい方でした。名刺をいただくと、お名前が「千栄子」さんで、なにかしら懐かしさを覚えました。脳裏に浮かんだのは、名優の浪花千栄子さんだったからです。
    思慮の無いこのおじさんが、大昔の話を若い○○千栄子さんに言ってしまいました。当然ご存じありませんでしたが、笑顔で聞いておられました。ごめんなさいね。

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  •  2月 4日(金) (7時半から、JRは京都〜米原間で運休中)
    テレビで運休を知らせていました。守山駅から自宅は近いので、自室で窓を開け、電車の音を確認して出かけることにしました。その間、インターネットを見ていると、石田家を訪問された方が、記事と写真を掲載されているのが目につき、見ていました。綺麗な写真を撮影していただき、ありがとうございました。アタの雑記というタイトルのホームページでした。


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  •  2月 1日(火) (記述を忘れていましたが、、)
    パソコンで音楽を聴く時には、パソコンのヘッドホーンの端子からステレオの外部入力に繋いで、大きな音量で聴きながら歌っています。同時に、カセットテープに録音をします。カセットテープは再びテープを回しながらパソコンに入力保存した上で、1曲づつ保存します。これに時間がかかりますが、歌手別や年代別等、ジャンルに分類してCD化して、車で聴いたり、好きな人に無料であげています。以上

  •  1月31日(月) (You Tubeの一日)
    尖閣列島の中国漁船衝突の映像をダウンロードして以来、「You Tube」の歌番組のテープへの取り込みに凝っています。
    この土日は、その作業ばかりで終日、我が部屋に閉じ籠りっきりでした。
    何度も何度も聞きながら大きな声で歌ったのが、ポールアンカが後年コンサートで歌っている「君は我が運命(さだめ)」の動画でした。
    小生よりも若い方は、どうかと思いますが、小生にとっては。とても印象深い曲です。一度、聞いて下さい。


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  •  1月29日(土) (もう一人のおばあさんとは?)
    友人からメールが来ました。「先日のおばあさんの内、もう一人の方との関係はどうなの?」
    二人の方を紹介し、一人だけ詳細に記述しただけでした。すみません。
    足に支障のあるおばあさんは、昨年4月以降駅から歩いて帰る途中、前をゆっくり歩いておられ、よく追い越していました。本当にゆっくりしか歩けない方でした。自宅が同じ方向のようなこともあり、こちらから気候の挨拶をし始めました。
    その内、歩く速さを合わせながら、話をしつつ歩くこともしばしばでした。
    私の自宅は駅から約300m位にありますが、あばあさんは途中で角を曲がられます。多分私の家から10数件離れているくらいだろうと思っていました。
    たまたま、他のご近所さんに野菜を配っている時に出逢い、「野菜を持って行くので自宅を教えて」と聞き、届けたのです。それで記述したのです。これでいいでしょうか?

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  •  1月27日(木) (「あまりお付き合いも出来ていないのに、どうして?」と言われ、、)
    先日、ご近所さんに野菜等をあげた一人暮らしの方(70才代半ば?)が言われました。「どうして、こうして時々野菜やお漬物をいただけるのですか?」と。
              
      進んで挨拶をされる方ですから
      「いつも、知っている人を見かけられると、にこやかな笑顔で挨拶をされます。今年のお正月に、車を駐車場に入れていると、溝を掃除されていたにも関わらず中止されて駐車場に来られ、「新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」と言われました。そのようなことは、昔あった日本人の日常行動ですが、それがすたれてしまいましたが、Kさんはお持ちで、私にとっては、そうされることに感動を覚えてしまうのです。
      昔は当たり前のことが、無くなったこの時代では、とても貴重な行動なのです。感動を与えていただいたことに対する感謝の気持ちもあるからです。」と私がい言うと、その方は、「そう思っていただく方がおられることが、とても嬉しいですわ。」と、控えめに言われていました。
      差し上げた方のうちのお一人は、足がお悪い一人暮らしの80才半ばの方です。大変恐縮されていましたが、玄関口に置いてきました。
       
       
  •  1月25日(火) (漬物だらけ)
    この土日で、水菜、沢庵(12月末に漬けた30kgの沢庵を食べ始めたところなのに、更に)、ヤーコンを漬けました。
    既に漬けているものを含め、桶が8つになりました。
    毎年ながら、とても食べることができない量なので、ご近所さんに、取れたての野菜と共に漬物を配って歩いた。塩分の少ない漬物ですし、大寒を過ぎると少しづつ暖かくなり、腐り易くなるので、早めに、少しでも多くの人の口に入れば、いいと思っています。

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  •  1月19日(水) (株じゃないよ)
    勤務先で月に一度程度、事務所から駅までの間にある一杯飲み屋に、立ち寄る仲間がいる。この事務所の仲間とは小生を含め民間出身の5人です。皆さんの前身は東洋紡梶Aオムロン梶A日本ビクター梶A宝酒造鰍ナ、それなりの地位におられた方々です。定年になり再就職しても、定年前の役職であるかのように振る舞う方が多いとよく聞きますが、この仲間は違います。すばらしい人を育てた会社ですね。
    とても気さくな方々で、会話をしていても、好きなことを言い合い、後腐れないような付き合い方をする仲間である。
    実は、飲むと言っても、一品と飲料だけで、一人1,000円コース程度で、ほろ酔いセットという程度です。これを大変楽しみにしている「おじさん」たちなのです。
    このおじさんたちのうち漬物禁止の1人を除く3人に、先週小生が漬けた漬物3種類をあげました。翌日、1人が、「美味しかった。家内もそう言っていた。」と言われ嬉しくなり、日曜日に自宅を聞いて、漬物と大きな丸大根を持参した。
    昨日顔を合したが、「あの株を酢で漬けます」と言われたので、「あれは大根ですよ」と応えた。
    小生は、あれだけの大根を酢漬けするのは株だと思っていたけれど、大根と人参とで漬けるのも、結構あっさりしていることに気づき、自宅に帰ってから修正電話をした。
    これから畑に出来ている多くの野菜を処分していかねば、2月には腐ってしまう。夏野菜の準備もあり毎年埋めていたけれど、極力あげていこう。

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  •  1月18日(火) (5kmも走っちゃった!!)
    朝、6時前から約3.5km走っているが、今日は調子がよくて5km以上も走ってしまった。毎日汗ビチョよ。

  •  1月16日(日) (体重は?と質問がありました)
    先週サウナに行ったと記述しましたが、友人からのメールで、「私は正月に少し肥えたけれど、あなたはどうなの?」と質問されました。
    昨年、5月17日に記述していますが、今も61kgを維持し続けようとしているおじさんです。先週サウナで体重計に乗ると、63.3kgで、このお正月に、2.3kgも増えてしまいました。サウナでは、70℃のサウナに、10分 3回入り缶ビール(83円の発泡酒を持参)を1本、その後、10分2回入り缶ビール1本を飲んで、61.7kgとなり、切り上げました。風呂から上がってすぐ衣服を着たので汗が出ていました。
    昼食のため、草津駅近くの王将に行き、餃子2人前と大瓶のビールを飲み、帰ってから畑を耕して汗を流しました。夕方湯船に入る前に体重計に乗った。計画通り、61kg少々になり、通常の生活になりました。

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  •  1月15日(土) (この日野菜は、おいしい。)
    漬けてから一か月ぶりに食べた日野菜がおいしい。本当にこれは旨い。1月5日記述の漬け方(日野菜A)です。
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  •  1月13日(木) (通勤の電車で聞いた「すみませんが、、」という懐かしい言葉、、)
    月14日、年金をもらいながら、まだ勤務をしている。いつぞや70才の先輩から、「若者に仕事がないから譲らなきゃ、、(笑い)」と言われたけれど、この仕事は若い人には飽きられるかな?
    M駅から400m位の所に自宅があります。M駅からドンコに乗り座って行きます。この席は横長の席ですが、いつも思うことがあります。
    それは、「詰めて座る」という精神が、無い世になったからです。座れる余裕があるのに、横にカバンを置く人、横幅に余裕を確保し過ぎるため、4人掛けの場所でも座っているのは3人だけというようなことが日常茶飯事です。車内放送で、注意喚起するようなこともないし、立っている人も、少し横に移動してもらえば座れそうと思っているだろうに、声をかけることもしなくなりました。
    私は、自分が無理して詰めれば座れると思う時には、「どうぞ」と言いながら詰めるようにして、人に座ってもらうようにしていますし、立っている場合には、一人でも多くの方に気が付いてもらうために、「すみません」と言って割り込むようにしています。でも、自ら「すみません」と言う人は、すっかり見当たりません。本当に寂しくなりました。
    ところが、今日、「すみませんが」と言う、おじさんがありました。私と同じような年令の方でした。私は4人掛けの座席の真ん中でしたが、詰めて座っていました。そこに「すみません」と言う声に、「どうぞ」と言ってあげ、気持ちだけ横に詰めました。
    なにかしら、昔らしさを感じました。

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  •  1月11日(火)@(電車に手袋が、、、)
    瀬田のサウナの会員ですが、今月、1年一回の更新となるし、雪は降って何もすることがないので、昨日電車に乗り、お出かけしました。電車は雪の影響もあり遅れ気味で、結構混んでいたけれど、座れた。
    手袋をジャンパーの中に入れていたが、降りる前に落ちたらしいが気が付かず電車を降りた。手袋をしようとジャンパーに手を入れると、ない。ハッと思い座っていたところを見るとある。
    電車は出た。
    昔は、「手袋が落ちましたよ」と、誰もが言っていたが、誰も言わなくなったのか。
    あ〜あ〜ッ。。。。。105円手袋が、、、、
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  •  1月11日(火)A(草のない畑?)
    駅を降りてシャトルバスを待っていたが、なかなか来ないので歩いて行くことにした。サウナと瀬田駅の中間辺りに、草の無い畑があり、今日も通った。いつか写真を撮らせていただきました。たくさんの野菜を作られていても、草の無い畑ですよ緒。驚きの畑です。
  • たくさんの野菜があっても、草はありませんよ。見習わねば。


       
  •  1月 7日(金) (雪を甘く見過ぎました)
    昨日、小浜市経由で美山に行くことにした。天気予報では、6日の夜から近畿地方北部で雪とのことでした。琵琶湖大橋からは、どこにも雪らしきものは見当たらなかった。
    途中峠の近くになると、年末に降った雪が道路側面にたくさんあった。鯖街道に入ると、雪が降り始めており、路面にも凍りついたような雪が残っていた。朽木(くつき)村に入ると、雪は更に激しく降り、視界も悪くなった。坂道が多いため、あちこちで引き返す車両があったが、「ここまで来ればついでだ。」と、時速20km程度で走行した。雪で運転を誤った乗用車があった。時折対向車がセンターラインに近づくのでブレーキを踏むと、横滑りしてしまうことが何度かあったが、どうにか小浜市に辿り着いたが、雪を甘く見たらいけないことを痛感しました。

    道路が凍りついているのに運転中に撮影(危ないのに)


       
  •  1月 6日(木) (あげた沢庵は、「その日に食べてしまったよ。美味しすぎて」と電話があり、、)
    帰省をし、いつもの如くお墓参り(当家の墓は、益田市小浜(こはま)にある)に益田市に行った。海の傍で、とても眺めがいい場所です。その足で、父(大正4年生まれ)の妹を訪問するのがいつものパターンだ。その途中に姉御さん(4月29日に記述)を訪問して、小生の漬けた沢庵を持参した。
    滋賀県に帰省した一昨日、姉御さんからワイフに電話があり、途中で小生に代わった。姉御さん曰く。「漬物屋をしたらどうなの?もらった沢庵は、その日にワインと共にボリボリ全部食べたよ。なんて美味しい沢庵。」とのお褒めのお言葉がありました。
    そのように言われると、調子づくのが小生の悪い癖。早速昨日、沢庵、白菜、隼人瓜(少ししかないけど、、)、日野菜を詰め込んで送った。
    弟夫妻も、「美味しいから又送って欲しい。」と言うので、そのつもりです。でも、特別のことはしていません、私流の漬け方ですよ。
      沢庵:曲がる程度に干した大根の重さの4%の塩、8%のザラメ、6%の糠、乾した柿とリンゴの皮、昆布、鷹の爪、黄粉(うこんを主原料とする沢庵調味粉)で、大根の重さの3倍の重石で漬ける。水があがると、水が見え隠れする程度に少し重石を少なくする。これにより全ての味が滲み込む。浅漬けが好きな人は、1週間後くらいから食べられますよ。
      日野菜@:「辛みがあるのが好い」と言う人もおられますが、あまり強いと食べない人が多いため、調味液(自分で味醂を使って、酒と調合し、沸騰させて冷ます)を使います。日野菜の量の3%の塩、調味液は適量です。まず、よく洗った日野菜を、食べ易い適当な大きさに切り酢に通す。酢に通すと日野菜の赤みが出ます。塩、乾した柿とリンゴの皮、昆布、鷹の爪を交互に入れながら詰める。最後に調味液を入れる。日野菜の3倍の重石にし、水が上がると重石を軽くする。4〜5日で食べられます。
      日野菜A:綺麗に洗った日野菜(葉っぱとともに)をそのまま酢に通し、3%の塩と糠で3倍の重石で漬ける。約2週間で半分の水を切る。代わりに、かなりの調味液を入れます。乾した柿とリンゴの皮、昆布、鷹の爪で、再び漬けこむ。重石は味が滲み込むように適宜。1週間から2週間で食べましょう。

       
  •  1月 1日(土) (新しい年を迎えました)
    明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
    とても寒いお正月となりました。30日に滋賀県から萩市に帰省しましたので、雪の影響はありませんでしたが、昨日各地で交通止め等があり大変だったようです。
    昔は、お正月と言えば、とても寒いものでした。小さい頃を思い出します。
    ところで、年賀状にてホームページを紹介しましたので、初めてご覧になる方も多いかと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。
    石田家では今年も畑を更に広く開墾いたします。イノシシ対策も、電気柵を設置し被害なく野菜を作り、多くの方に差し上げようと思います。
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