トピックス

   

  • 平成30年 4月 7日(土) (4月1日から、土日、祝祭日に公開。管理者在住時にはウィークデーも公開)
    石田家住宅の周囲がきれいにされてから、3月末に、「南丹市歴史教室」が開催されました。
    これから、このようなイベントが開催されることを祈っています。
  • 南丹市歴史教室

       
       
  • 平成30年 4月 1日(日) (スギ花粉が粉のよう飛散しています)
    美山からの帰りでした。
    進行方向が薄くなって見えるような景色でした。
    物凄いスギ花粉です。思わず走行中にシャッターを。
  • スギ花粉の飛散です

       
       
  • 平成30年 3月 6日(火) (石田家住宅を地元が管理運営し、積極的にPRをする、訪問者の増加計画が進んでいます)
    もう20数年間、所有者に変わり、小生が石田家住宅の管理(と言っても、草刈り、間伐、獣対策、野菜作り、訪問者への対応等)をしてきた小生も、70才を過ぎてしまいました。
    守山市からここまで最短の山道で、90kmあり、通常2時間半かかります。
    元気であっても、これから、せいぜい5年位が限度と思われます。
    将来、石田家住宅の管理をどうするか。このままでは、放置され続け、廃墟にもなりかねないとの不安がありました。
    所有者とも相談し、「今後、地域発展のために、公開に伴う見学者等からの寄付金等が地域の収入源となるような動きになれば、是非とも石田家住宅を活用して欲しい」との意向に至り、地域の代表者に話しをしました。
    今後の管理、運営は、この地域の樫原地区が行うことになります。
    それに賛同された方が、何度も南丹市に請願され、ようやく南丹市が動き、土蔵の解体と、入り口周囲に塀と門構えの新設を、予算化していただきました。
    土蔵の解体は、昨夏に終わり、現在、塀と門の新設工事中です。
    将来に渡り、大勢の訪問者に、古い茅葺民家をご覧いただき、良き時代を懐かしがって欲しいものです。
  • 塀と門の新設工事中で〜〜す

       
       
  • 平成29年12月 8日(金) (石田家住宅を訪問された「はしだのりひこ」さんが、、、、)
    昭和50年の前半、石田家住宅の復元工事が完了した直後、2組の著名人が見学に見えました。
    1組は、故大島渚映画監督と小山明子夫妻と、はしだのりひこさんでした。復元工事完了直後で、世の中にあまり知られてない時の訪問でしたので、とても深い関心を持たれたのだろうと思いました。

    先日、はしだ(端田)さんが亡くなられたとの報に、大変な淋しさを覚えました。
    昭和45年に会社に入り、綾部市の某工場でとてもすばらしい先輩の故渡辺清史さんと一緒にギターを弾きながら、彼らの歌を工場の女子寮生(当時、女子寮生が900人、男子寮生が90人くらいでした)の人達とよく歌ったものです。
    私の青春に、大きな1ページを与えていただいた歌手でした。
    報を聞いてから、ギターを持ちだして弾き、歌いました。
    ありがとうございました。
  •    
       
  • 11月11日(土) (フランスからの夫婦が見学され、英語で30分説明しました、、、)
    11月5日、石田家住宅の戸締りを仕掛けるため外に出ると、道路から文化財を見かけ、写真を撮る二人を見つけました。
    30分くらい前だったか、畑仕事を終えた頃、道路の下から歩いていた人を見かけていましたが、「夕刻でもあり、もうほっておこう。」と思い、家の中に入りました。この二人は先ほどの人だなと思っていると、塀越しに目が合いました。
    よく見ると、70才代らしい外国の方でした。
    そこで「英語を話せますか?」と声をかけました。そうすると、女性の方が「Yes」と返答され、「観たい」と言われるので、招き入れました。
    聞けば、フランスはパリの近くのようで、ご夫婦で三週間の予定で日本を旅行中とのことでした。
    既に西は宮島、広島等を訪問され、今日は美山泊りで、明日から関西方面を旅行して、関東へ行かれるとのお話でした。
    ご主人さんは、フランス語だけしか話されないようで、奥様に英語で説明すると、その都度、ご主人にフランス語で説明されていました。
    仲のいい夫婦でした。
    30分程度、石田家住宅の説明や、私の家族の話し等をしてお帰りになりました。
    英語で説明している時に残念だったことは、「保つ」と言う英語が、何故か出てこなかったことです。何故だったのか?年だから、もの忘れ?お二人が帰られてから「keep」だ!と。
    今日から萩市に帰省します。
  • 仲のいいご夫婦、、、

       
       
  •  7月26日(水) (折れかかったユリを副木で、、、)
    二度同じ場所から侵入した猪ですが、そこを完全補強すると、今度は生垣の間を突進して侵入し、またもやユリを引き抜かれた6月でした。
    しかし、最初に入った時には、既にユリの球根を食べているので、食べるものがなく、引き抜くだけでした。
    抜かれたユリの大半は、守山市の自宅から移植しましたが、大きく育って折られたユリには、副木を当てて、無事育つよう祈って植え直しました。
    訪問者に「こまめな、優しい人ですね。」と言われ、自分で自分を褒めて満足しています。
  • 育ってや、、、

       
       
  •  6月 7日(水) (1年ぶりに猪が突進し、畑を荒らす、、、、)
    6月6日から、石田家住宅にきています。
    住居敷地ワイヤーメッシュが持ち上げられ、猪が侵入していたようです。
    いつも気になるのが、石田家住宅周辺にある「鉄砲ユリ」でした。悪い予感が的中し、ユリが起こされ、球根を食べられました。8月から9月にかけて、このユリが前面にして石田家住宅を撮影する人(京都市の写真店で優秀賞の人もありました)が多いのです。残念でした。
    でも、守山の自宅周辺に、数年前からユリを移植し、今では毎年出来た種を蒔きますので、たくさんあり、次回、石田家住宅周辺に移植しま〜〜す。
    一方、畑には谷から流れる川からフェンスを押しのけて侵入していました。去年食べきれずに残り、芽の出たジャガイモをバラまいていましたが、全て食べられていました。(成長の悪いジャガイモだったことと、今年買った種芋は、守山と萩の自宅にたくさん植えて、たくさん収穫出来ていました。)まあいいや。
  • かわいそうなユリ

    杭も持ち上げられ、、

    無残

       
       
  •  5月 5日(金) (萩市で最も美味しい甘夏を訪問者に提供しています。でも、、、、)
    4月29日から、石田家住宅にきています。
    萩市の同級生である友人宅の甘夏を、石田家住宅訪問者に味見してもらおうと、50個持参しました。
    早速、手書きの立て看板を作り、甘夏もおきました。
    「こんな本当に美味しい甘夏は、初めてです。」と称賛されてしまい、5月3日からの連休に備え、前日に山盛りにしました。
    翌朝、甘夏を置いている籠を見ると、無残。獣に4個食べられていました。アライグマか、タヌキかわかりませんが、4個で満腹になったのでしょう。犯人の足跡がハッキリ残っていました。
    美味しさが獣にもわかったようです。夜は、家の中に収納します。
  • 甘夏と看板を設置

    手書きのPR看板

    獣に荒らされ、、

    看板に犯人の足跡が鮮明に、、

       
       
  • 12月 2日(金) (自宅敷地内に熊出没、、、)
    石田家住宅のすぐ傍にある「久保柿」(くぼがき):{京都府亀岡丹波地方で昔から愛されてきた品種}の木に熊が登り、今年あまりならなかった柿を食べたようです。
    この地区の甘柿は、そのほとんどが食べられたようですが、石田家住宅の防獣柵の内にあるこの柿の木は、どうも最後に盗られたようです。
    なにせ、爆睡中の時間の様で、気がつきませんでした。
    怖〜〜ッ、、、、
  • 熊が乗り、曲げられた防獣ワイヤーメッシュ、、

    柿の木の爪痕

       
       
  • 11月 9日(水) (熊が出ています。ご注意下さい、、、)
    先日、石田家住宅のすぐ上にある空き家の住人Nさんが京都市内から来られ、柿を採っておられました。
    小生が、「今年は家の前の甘柿が、あまりなっていませんね。」と言うと、
    「先日帰った時に、今年もたくさん採れそうと思って今日来たのだが、ほとんど熊が木に登り、盗ってしまったよ。道路の傍に、熊の糞があるよ。」
    と、言われました。見ると、柿の種がある、大きな糞がありました。
    近所の人に聞くと、「あちこちで出ているよ。」と言われていました。気をつけて下さい。
  • 石田家住宅の傍の道路で、、

    熊の糞で〜〜す、、

       
       
  • 11月 3日(木) (猪が、防獣ネットを敷きつめられ、怒って来なくなった?、、、)
    稲刈りが終わると、貸している田んぼの電気柵がハズされ、獣が田んぼを通り入ってきます。(石田家住宅の敷地には、入場できないよう頑丈な柵などを設けているので入れません。)
    田んぼの傍に、毎晩のように猪が来て、ミミズ等を掘り返しています。
    今回、草刈りをした後に、写真のような防獣ネットを敷きつめました。
    その翌朝2時頃でした。猪が数頭、闇夜に「ウ〜〜ッ ウ〜〜ッ」と、唸っていました。トイレの小窓を開けて聞くと、毎晩ミミズを取っていた場所に、防獣ネットが敷きつめてあり、それに対して、怒っているように思えました。
    唸り声は4時頃まで続き、翌日からは、猪も、そこには来なくなりました。
  • ミミズのいる場所にネット、、

       
       
  • 10月 1日(土) (野菜は順調に育っています、、、)
    今年は、すべての野菜が順調に育ちました。
    野菜が災害、天候不順等によって高値の様ですが、我が家では無縁で、野菜は時たま買う「もやし」くらいです。
    写真に写っている食べ物は、次の通りです。
    按納いも、里芋、万願寺、ナス、米ナス、トマト、キューリ、隼人瓜、大根800本、カブ(白、赤)日野菜、白菜、キャベツ、青高菜、サラダ水菜、チンゲン菜、ホウレンソウ、小松菜、ブロッコリー、パセリ、ネギ、ヤーコン、レタス、人参、サラダ春菊、ニラ、ニンニク、島ラッキョウ(しゃきしゃき感がすごい)、ミニカボチャ約100個収穫、オクラは今でも毎日食べています。三度豆、等など。
    書き過ぎました。大半は、人に差し上げています。
  • 右上に見える石田家住宅の下で、、

       
       
  •  9月24日(土) (長年、コメントいただいた方と、終焉になりましたので、HPの更新を終了いたします。、、、)
    いつもコメントいただき、長年ありがとうございました。
    HP以外にも、45年くらい 、色々と連絡もいただいてきましたが、先方のご事情で、コメントもできなくなり、当方も、落胆いたし、取りあえず、更新はやめることいたしました。
    すみません。
  •    
  •  9月 7日(水) (米(べい)ナスが食べきれない程できました。中には変なのが、、、)
    昨年、例年通りに米(べい)ナスを作りましたが、少したくさんできたので、親戚や友人に送りました。
    「言われたように田楽にすると絶品だ。」との声を多く聞き、今年は苗も順調に育ちましたので、たくさん植えました。
    出来過ぎてしまい、一か月前から人にあげたり送ったりしていますが、まだまだたくさん出来ているので、多分腐らせてしまうことになるかも知れません。
    何年も作っていますが、今年初めて、突然変異のナスになりました。
    本当に美味しいですよ。
    そうそう万願寺とうがらしやナス、キューリ、ミニトマトも、例年通り有り余るほど出来て、十数人に送りました。
    御礼を言われて嬉しいお爺さんです。
  • 変形した米ナス(米粒のような形で)も

       
  •  7月30日(土) (鉄砲ユリを切らないように鎌で草刈り中、蜂に刺され、、、)
    7月23日、石田家住宅周辺の草刈りをしました。
    1本1本の鉄砲ユリを大事にしているため、草刈り械ではなく、鎌でユリを残して雑草を刈る事もしばしばです。
    そうしていると、左手に傷みを感じた瞬間、蜂がたくさん見えたので、すぐさま走って逃げ、いつもポケットに入れている虫刺され用の抗生物質を塗りました。傷みは次第に強くなりました。
    2年前にも、二度刺され、医者から「これ以上刺されないようにして下さい。抗体が気になります。」と言われていましたので心配になり、その時にもらった薬を飲みました。
    あれから6日過ぎて、やっと腫れもひきました。もう刺さないで、、、。
  • この草むらに蜂の巣が、、

    30分後

    1時間後

    6時間後

    18時間後

       
  •  7月25日(月) (折れた鉄砲ユリの補強を、、、)
    7月17日は、多くの方が石田家住宅の見学に見えました。ありがとうございました。
    家の周辺には、私が大事にしている鉄砲ユリがあります。
    防獣ネットが無い時には、茎から上は鹿が、ユリ根は猪が食べていました。17日は、誤まって訪問者が踏まれたのか、ユリが1本倒れていましたが、折れただけでしたので、どうにかなるかと思い、骨組みを立てて紐で結んであげました。
    一週間、水も与えて、どうにか、なりそうですよ。
  • 補強しました

       
  •  7月22日(金) (カラスの集団にイチジクの木を折られ、、、)
    4年前に、守山市でもらったイチジクの木が大きくなり、昨年に続き、今年も大きい物がたくさん出来ました。
    ところが、先日来て、気を見ると、2本ある木の1本の先端が、折れているではありませんか?
    文化財のある石垣から、小動物でも乗りかかり折れたのかと思っていました。ところが翌日早朝、カラスの集団がイチジクを食べているではありませんか。
    木が折れたのは、カラスなのでしょう。
    早速、網をかけましたが、それでも、どこかに入れる隙間はないのかと、毎日やってきます。
  • 木が折れています

       
  •  5月 3日(火) (採れ過ぎた大量の「ニンニク」と「ニンニクの芽」、、、)
    畑を三か所で耕作し、野菜を作っています。滋賀県守山市、京都府美山町、そして萩市です。
    それぞれ気候が違うため、例えば、5月12日に父親の101才の誕生日のお祝いに萩市帰った時、スナックエンドウ豆を全て収穫しましたが、美山では、今回収穫出来るという具合になります。
    またもや、甘夏を米袋3個分を地域の人に配り、訪問者等に喜ばれ大満足、、、
    野菜は、スナックエンドウ豆、ニンニクとニンニクの芽、玉ねぎです。
    ニンニクは、昨年秋に植えましたが、その前年に収穫したもので、余った物も植えましたので、大量に出来てしまいました。
    ニンニクは、その一部をアルミホイルで包み、4日間程度、電気釜で保温にして置きます。そうすると、「黒ニンニク」が出来上がります。
    ワイフがいつぞや食べ始めてから一週間後に、「何かしらパワーがついたことが実感できる」と言ったのが印象的で、それから毎日一かけらを食べています。
  • 大量のニンニク

    炒め物に最高の「ニンニクの芽」

       
  •  5月 3日(火) (萩市のワケあり甘夏が大うけです、、、)
    先日、萩市に帰省していました。
    以前にも記述しましたが、この時期ですと、約300kgくらいの、萩市で一番美味しい(土地によって味が違う)甘夏を車に積んで滋賀県に帰ります。
    しかし、年末の暖冬と2月の寒波で凍みてしまい、萩市内の店にも多くは陳列されていないような最悪の状態になりました。
    来年出来る花が咲きますので、なっている甘夏を木から落とさなければなりません。友人宅で、毎年、落とす作業をしているので、たくさんもらいます。食べても、あの美味しい味がない今年の甘夏でしたが、それでも、米袋5つだけ持ち帰りました。
    甘夏を食べたワイフに云われました。「美山に行く時、皆持って行って捨てて下さいよ。」
    「あのな〜〜、毎年上げている人は、ひょっとすると今年もあの美味しい甘夏がもらえるかもと、ささやかな気持ちを持たれるかも知れないし、訳を言って試食してもらい、良ければ上げると言うことにしたら?」と言いました。
    ワイフは渋々近所や友人に話しをしたようです。すると、「美味しい」と言われ、3袋さばけましたが、2袋は捨ててと言われ、美山に持ってきました。
    それを捨てずに、こうして石田家住宅の入口に置きました。その評判がよく、瞬く間のうちに無くなりました。
    「もったいない」と言う言葉のお蔭です。
  • 大人気の甘夏

       
  •  4月16日(土) (思い切って美山に行ってきました、、、)
    先日、思い切って美山に行きました。最も距離の短い京都府北部の花脊を通っても2時間半かかる道中、駐車場のある則面が大きく崩れているだろうと、最悪の状態を考えながら走行しました。
    家が近くなり、こわごわ坂道を登り家に近づきました。
    猪に荒らされた場所を見て、思わず安堵しました。
    猪が入るかと思われる場所を、張り巡らせた防獣ネットのお蔭で、あれ以来、全く侵入した形跡がありませんでした。ホッ^^。
    少し元気が出てきました。ありがとう、2万円強の防獣ネットよ。
    安堵の中で周辺の草刈りと畑も耕して帰り、昨日から萩市に帰省しました。
  • 二重の防獣ネットです(クリックで写真は拡大可)

    二重の防獣ネットです(クリックで写真は拡大可)

       
  •  3月31日(木) (美山に、足が向かない、、。どうしよう、、、、、)この時期は、観光客も見えるし、草刈りや畑も耕さなければ、また、たくさんの「ニンニク」にも最後の肥料が必要だしと思い、一週間前に食料を買いこんでいました。
    ところが、あの夜に見た、青光りの目をした猪が夢の中に出て、挙句の果てには、猪に崩された崖の則面の土砂が、下の水路や田んぼを埋め尽くし、大工事をして欲しいと言われたりする夢まで見て、美山に行く気がしなくなりました。
    どうするべきか??
  •    
  •  3月10日(木) (猪が駐車場や小屋のある高台の崖を崩し始めていた、、、)3月4日、約一カ月ぶりに美山に来た。
    驚いたことに、来客者の駐車場のある高台の崖は、お茶の木等が沢山あったけれど、ほとんどが掘り起こされ、大きな岩や石ころなどが崩れ落ちていた。
    手の着けようがないと思ってしまった。いつかは、この岡がすべてなくなり、小屋も崩壊するかも知れないと感じた。
    家の軒下では、吊るし柿を入れていた網が噛み切られ、50個位の吊るし柿は全て食われていた。
    一方崖は、連日のように少しづつ削り取られていた。
    3月9日の午前三時頃、風も無いのにトタンに何かが当たる音がした。
    懐中電灯を持ってドアから出て確認をしようかと思いきや、それを止め、トイレの小窓を開けて音のする方を懐中電灯で照らした。
    何と、猪が青目(夜照らすと青色に光る)をこちらに向けた。少しも動かないので、「ウォーッ」と怒鳴り声を上げると、もの凄い勢いで逃げた。
    逃げたのは、侵入して来た所とは反対方向だったので、「ああ〜〜っ。別の柵に突進して壊してしまう。」
    それが気になり、早朝、道路沿いの防獣柵を確認すると、ワイヤーメッシュ(鉄の格子)に突進し、ひん曲げて逃げていたのです。車の通行にも支障を期たしたところだったが、応急的に処置しました。
    侵入路の周辺の整備に、1日がかりでしたが、これでも安心できない。
    修復作業をしている間、向いの田んぼの傍で、昼間から鹿の親子がこちらを見て悠然と笑っていた。
    もう嫌になっちゃうな〜〜。
  • 噛み切られた網(クリックで写真は拡大可)

    えぐられた崖(クリックで写真は拡大可)

    穴を掘られ柵が破れ、、(クリックで写真は拡大可)

    修復し防獣ネットを敷くが、、(クリックで写真は拡大可)

    昼間から鹿が、、(クリックで写真は拡大可)

       
  • 12月22日(火) (友達に野菜を送りました、、、)先日、大阪府八尾市の友人に野菜を送ってあげました。
    「たくさんお魚をもらったので送ります。」と、自宅に届き、その返礼として、大きな段ボール2箱で送ってあげました。
    ◎大根、赤カブ、ネギ、チンゲン菜、サラダ水菜、里芋、菊芋、ヤーコン、青高菜、隼人瓜、そして菊芋の味噌漬け、日野菜の味りん漬け
    「二人の生活だから、ご近所さんにも差し上げます。」と言われていました。喜んでいただき、嬉しく思いました。こうして喜んでいただくので多くの方々に野菜をお送りしています。今年、40人近くの方に送ってしまいました。
  • この倍の野菜を送りました(クリックで写真は拡大可)

       
  • 12月18日(金) (仲のいいこと、、、)日野菜がたくさん出来、収穫しました。先月から、10kg以上を「日野菜の桜漬け」にして、あちこちに差し上げています。
    「大変美味しい」と、皆さん言われるので、また10kg漬けます。今回は味りん漬けと桜漬けです。
    その中に、とても仲良く育った珍しいものがあり、記念に撮影しました。いいですね。
  • 仲のいい日野菜、、(クリックで写真は拡大可)

       
  • 12月16日(水) (野菜を育て、今年学んだこと。必見ですよ。。)今年の野菜作りで、おり多く収穫が出来ることを学びました。8月初めに美山でお盆前の草刈りと野菜の収穫をし、萩市に帰省しました。「20日過ぎには、また美山に来る。」予定でした。
    島根県の親族にご不幸があり、月末に、また萩市に帰省し、美山に来れたのは、9月中旬になりました。
    辺り一面、草だらけになって、数日間草刈りばかりでした。
    野菜は順調に育っていました。ここから得た野菜の育成方法は、次の通りです。
    ●ナスは、葉っぱに虫がかじり、生育が悪いことがしばしばありますが、草のお蔭で全く無視がつきませんでした。しかも、大きくなり過ぎのナスが、とても柔らかかったのです。今年から、あぜ道だけ除草しますが、ナスの周辺は草だらけにします。万願寺やピーマン、伏見トウガラシも同様でした。
    ●ナスは、長ナスが一番です。40cmくらいになっても、柔らかいのです。また、6月から10月まで収穫できます。
    ●ピーマンは、霜が降りる前に、ナイロンなどをかけると。1月位まで収穫できます。
    ●ミニトマトは9月頃になれば横に寝かせると、11月まで収穫出来ます。美山で実証済みです。
  •    
  • 11月24日(火) (「今から東京へ帰り、区役所で入籍手続きをします」。「お幸せに」、、、、、)
    11月23日、結構早い時間でした。駐車場に車が停まりました。男女二人の人が、入口の説明書を読んでおられましたが、小生に声がかかりませんので黙っていました。
    大根を洗っていると、ポケットに入れているチャイムがなりましたので応対しました。
    礼儀正しいお二人でした。
    「どちらから?」と聞くと、「東京からです。」と応えられ、「ご夫婦ですか?」、「まだですが、これから東京に帰り、区役所で入籍手続きをします。」
    「おめでたい日ですね。後藤さん、お幸せになって下さいよ。」
    今日は、いいことがありそう、、
  •    
  • 11月 8日(日) (連日、熊が出ています。ご注意を、、、)
    3日に石田家住宅に来た時、すぐ上にある空き家にたくさんなっていた百匁柿が全くなく、枝がかなり折れていました。
    水道メーターの検針に見えた東さんが、熊が出ているようですよと言っていただきました。
    5日、石田家住宅の駐車場に、前日まで無かった獣のフンを見つけました。よく見ると、ドングリか、椎の実等の実と思われるものが、そのまま排出されていました。
    熊のフンは、堅い物を食べても消化されずに排出されます。参考に写真を撮りました。
  • 熊のフン、、(クリックで写真は拡大可)

       
  • 11月 7日(土) (とても、お人やかな、控えめの奥様が、、、、、)
    話しをしていると、「私も山口県で阿知須です。」と言われ、とても親近感を覚えました。今は堺にお住まいとのことでした。
    野採は買われているとのことで、「上げましょう」と言うと、「結構です」と言われ、拝観料として500円をいただきました。
    「野採は嫌いなのですか?」、「いいえ、」「それじゃ採って来ますから」と、大根、日野菜、チマサンチュ、漬け物等、色々と差し上げました。
    そうすると、「どうしても。」と1,000円を置かれていました。
    「そんなつもりはありません」と言ったのですが、「そういうわけにはいきませんので、是非」と何度も言われ、恐縮してしまいました。
    住所等を記載して下さい。」とお願いしましたが、お断りされました。今までも、千円を超えるものをいただいた方々には、必ず、野採を段ボールいっぱいに詰め、送っているからでしたが、今回は、それもお断りされました。とても、控えめの奥様でした。ありがとうございました。
  •    
  •  9月17日(木) (「野採をご自由に(無料に)」に、大勢の方が、、、、、)
    8月初旬に美山町で農作業をした後、萩市に帰省し、8月20日に滋賀県に戻りました。下旬には美山町に行く予定でした。
    ところが、島根県益田市にいる親族の不幸があり、萩市に戻り、父親を連れて行ったりし、美山町に行ったのは9月10日で、約40日ぶりになりました。
    畑も家の周辺も草だらけでしたが、これが良かったのでした。野菜を見ると、草があったために、野採は全く虫が付かず、嫌なほど沢山の野菜が採れました。
    5枚の土納袋にナスは約150個、万願寺唐辛子は2袋、ピーマン1袋、伏見とうがらしが2袋になってしまいました。
    子供達、ご近所、更には親しくしている人にも送ったりしましたが、なお多くの野菜が残りました。
    そこで、守山市の自宅前に台を置き野採を満載し、「野採をご自由に」と記述しました。洗車をしながら様子を見ていると、看板を読みながらも、通り過ぎて行く人が、意外に多かったのですが、私が家の中にいると、いつの間にか減っていました。辺りが暗くなったので18時過ぎに、看板や籠を家の中に収納しました。
    夕食を食べていると、「ピンポ〜ン」となるので「どちら様ですか}と聞けば、「マンションの住人です。無料野菜があると聞きましたので、、、、」と言われました。外に出ると、3人の女性が、大きな袋を持っておられましたが、「少しづつ均等に持ち帰っていただくので、少しだけお渡しします。」と言って差し上げました。
    「う〜〜〜〜ん、、、、、。」
  • 自宅前に、、(クリックで写真は拡大可)

       
  •  8月 6日(木) (猪に防護柵を倒され石田家住宅を取り巻く「鉄砲ユリ」の球根を根こそぎ食べられ、、、)
    7月31日に石田家住宅に来た。またもや、道路横の防護柵が倒され、石田家住宅住宅の軒下に点在する約50本くらいの「鉄砲ユリ」を根こそぎ掘られ、球根を食べられ、埋めていたチューリップの球根も無くなりました。
    家の下にある畑には、頑丈な柵があり突き進むことが出来なかったようです。思い通りに出来なかった時は毎度の事ですが、そのストレスを発散するためだろうか、全てのものを掘り起こしてしまう。
    今回は、とにかくあちこちが掘り起こされてしまった。
    「猪や鹿などの獣には負けないぞ」との、強い意志が常にあるので、対策を講じた。
    コンクリートを買いに行った。今回は、防護柵を大きな石で固定し、更に動かないように、石と鉄制のワイヤーメッシュをコンクリートで固定しました。その上、山から切り出した大きな木を支えにした。これで、様子見をすることにした。はたしてどうなることか、、、
  • 防護柵に突進され1

    防護柵に突進され2

    ユリは根こそぎ、、

    球根は無いけど毎日水やり。今日から帰ります。果たして、、

    コンクリートで固定

       
  •  7月10日(金) (昼間から鹿の親子が近くに来て、、)
    5日まで石田家住宅にいましたが、明日11日から萩市に帰省(毎月1回です)します。美山では毎日のように、私がいるのに、昼間から鹿の親子が山から下りて来て、青草を食べていました。
    奈良公園とは違い、人がいたり、明るい内には姿を見せなかったのですが、最近は、昼間でも散見されるようになりました。
    日本全体の問題ですが、平地の萱は、鹿が新芽を食べるため生育しなくなり、萱葺民家にとっては最悪の状態でもあります。写真の場所も田んぼの跡地ですが、10年位までは萱が生い茂っていました。しかし今は、鹿に新芽を食べられ全く育ちません。
    昼間の鹿を追い払うため、取り敢えず、ペットボトルに砂を入れた発射台で、ロケット花火を二発発射して脅しました。
    そうするとその後約10日間、帰るまで昼間は来なかったのですが、夜、また活動するのでしょう、、。
    猪と鹿が敷地内に入ると、鹿は草類を食べ尽くし、百合は茎等、緑の部分を食べます。猪は、百合の根っこを根こそぎ食べるのですよ、、。
  • 野草を食べる鹿の親子

    ロケット花火発射台で〜〜す

       
  •  7月 3日(金) (またもや猪に防護柵を突破され、、)
    今回石田家住宅に来ると、先月植えたサツマイモの苗が掘り起こされ、ジャガイモは収穫時期を迎えているのに食べられ、頚糞を撒いたキューリ等が掘り起こされていた。
    最近は、毎年の事なので滋賀の地元でジャガイモ、サツマイモを作っていますが、「又か、、。ちきしょう」と思い、侵入経路を確認した。
    正面入り口の狭い防護網に突進し、侵入したようだ。畑を荒らした後、逃げるのに、侵入した所から出ることが出来なかったようだ。
    逃げ場所が当日わからなかったのですが、翌日、作業をするのに物置き小屋に行くと、頑丈であった防護柵の下の土を掘り起こして逃げたことがわかりました。
    畜生、、、、。ここもか、、、、。他の柵も今までにも、やられていますが、ここは、外が3mの高さがあり、急坂になっているので安心していたのですが、、、。
  • ここを突破し侵入

    このトタンの下を掘り起こし、、、

    重い木をぶら下げ掘られないように、、、

       
  •  6月21日(日) (私達も滋賀県よ、、)
    5月に石田家住宅で農作業している時に、若い女性が、「見せて下さい。」と声をかけてきた。
    ちゃらちゃらする若い子なら、ちらっと見るだけだろうと思っていた。
    おじさんは滋賀県なの?私達も滋賀からよ。野洲市と近江八幡市だよ。」と言うので、説明がてら話しをした。
    近江八幡市から来たと言う女性が、なにかしら文化財に置いていた高下駄に興味を持ち、履いて歩き始めた。よっぽど嬉しかったのだろうか?そして、写真を1枚。
    若い人は、私のようなおじさんの話しを、十分聞いてくれない人が多いけれど、この二人は、熱心に聞き、そして、言葉と態度で反応してくれる嬉しい若者でした。20才過ぎかなと思い聞くと、少しだけ上でした。
    ご本人さん達のご了解を得て、写真を載せました。また来てよね。待ってま〜〜す。おじさんより。
  • 若い野洲市と近江八幡市の女性、、、

       
  •  6月13日(土) (美山では農作業中に、すぐ傍に鹿が野草を食べに来た)
    6月10日から萩市に帰省しています。先日のことですが、美山で農作業していると、すぐ傍に、鹿が野草を食べにきているではありませんか。
    「おいおい、人間が傍にいるのに近づくなよ。」と言いたかったのですが、驚かせて追い返しました。ひょっとすると、メスかな??
  • すぐ傍に鹿が、、、

       
  •  6月 3日(水) (「河原さん、懐かしい。」と、メールが、、、)
    5月30日記載の「プロショップ フジイ」の記事「河原さん、、、」を読んで、昔 同じ職場にいた村上由美子さんからメールが来ました。「河原さん、、懐かしい。」と、
    あの昭和40年代後半に戻りたい、、、、、。
  •    
  •  5月30日(土) (「ないものもある店」??)
    石田家住宅の維持管理、あるいは山や畑等、石田家住宅を取り巻く自然との闘いに、決して欠かすことの出来ない店があります。
    山陰本線「和知」駅から少し京都寄りに行った場所にある「プロショップ フジイ」です。
    所謂、大工センターとかホームセンターと言われるような地方版です。
    なにかあると買い物に行きますが、特に機器類の故障時には、救世主になる店です。
    昨日、3年前に買った「刈払機」が動かなくなりました。
    「フジイさんにしかない」と、早速持参しました。早速、大将(社長かな?)が、すぐさま分解点検し、故障個所を探す。
    この間にも、地元のお客さんが何人にも出入りをされるが、必ず、購入品以外の会話を自ら持ち出して、きさくにされる。この会話こそが、「プロショップ フジイ」と人を結びつけるのでしょう。素晴らしい社長(いつの間にか社長)だ。
    (実は、この方は、私が昭和45年から10年間勤務していた工場の運転手をなさっておられた故 河原さんという人と、御親戚なのでした。今でも温和な河原さんの御顔を思い出します。)                    
    こうして、30分近く分解し点検され、無事修理出来ました。「修理代を払います。いくらですか?」と言うと、「特別な部品を使ったわけでもないので、要らないよ。」と言われ、「それじゃ自分が困ります。修理してもらって代金なしでは、自分が嫌ですから。」と言い返した。そうすると、「それじゃ500円もらおうかな」と言われました。私は、2〜3千円だろうかなと思っていたので、少々困惑しましたが、お支払いをしました。
    この店ですが、今まで何度も来ていますが、初めて気が付いたことがありました。
    なんと、屋根の看板に、「ないものもある店プロショップ フジイ」と書いてあるではないですか。こんな看板を掲げる店が、日本のどこにあるのか。あれば教えて、、
  • 看板

       
  •  5月 7日(木) (文化財や家の、畑を囲むための杭作りと大工道具修理)
    猪、鹿、アライグマ等から、文化財、家、あるいは畑を守るための囲いに使用する杭をたくさん作りました。
    前年、山で伐採した杭にする木々を、小屋で寝かせ、水分を十分抜きます。木々は、12月から1月の、雨や雪がない日が何日か続いた後で伐採するのです。乾燥した上、水分が少なく、長持ちするからです。
    木々を火に入れて、土や雨等との接触部分が腐らないようにします。
    ソ作業に必要な大工道具が破損したりすると、修繕をします。チェーンソーやノコギリの刃は、常に「目立て」を自らしますのよ。
  • 杭の火入れ

    焼きあがった杭

    鎌の修理中

    チェーンソーの目立て

       
  •  5月 5日(火) (雨でも、17時過ぎても見学者が、、。野菜を差し上げ3,000円は過分で連絡先を探す)
    連休の天候の悪い日でも見学者が多くあり、17時過ぎに早めの入浴中にも「見学したい」の申し出があり、急遽上がり対応したりしています。
    先日、70才代位のご夫婦が明石から見えました。囲炉裏に火を入れてあげ説明をして野採を差し上げました。
    「色々ご親切にしていただいたので、お礼を「協力金箱」に入れておきます。」と言われました。「ありがとうございました。」と言って見送りました。その箱の傍に、10円置いてありました。修復時の足しにさせていただきます。ありがとうございました。
    昨日、堺市から来たと言われたご夫婦と小学生の訪問者の対応をしました。
    とても爽やかなご家族で、野採を色々と差し上げました。
    「お礼を協力金箱に入れました。物騒ですから見ておいて下さいよ。」と言われ、しばらくして確認すると、3,000円入っていました。
    過分だと思い、訪問者の意思で記帳いただくメモ帳を見ましたが住所等も記載されていませんでした。お返しをしなければと思い、会話を思い出していました。
    コーヒー焙煎をするところがあり、そこの宿に宿泊したと言われたことを思い出しました。早速インターネットで検索すると、宿泊先らしきところがあり電話をして事情を話し、個人情報ですので宿からご本人さんへ連絡していただき、ご了解を得られたなら電話をかけたいとお願いをしました。
    お返しが出来るよう連絡を待ちます。
  •    
  •  2月21日(土) (農家民宿の方が、天気が悪く、お寒いのに見学されました)
    18日美山に来ました。天気が悪く、寒いので、早めにお風呂に入るため沸かしていると、二人の方が寒い中、案内板を見ておられました。
    「見られますか?」と声をかけ文化財のカギを開け案内と説明をしました。
    農家民宿「まるつね」の経営者の名刺をいただき、石田家住宅の維持管理協力金をいただきました。(「農家民宿」なる言葉を初めて聞きました。)とても好感の持てる方でしたので、日野菜の桜漬け、菊芋の味噌漬け(まだ漬かりが浅いのですが、)を差し上げました。
    味はどうだったかな?
  •    
  • 11月 7日(金) (万願寺等の野菜を多くの人に送ったり、分けたり、、)
    今回は美山に来て14日目です。あと4日いる予定です。くぼ柿を採りに、静寂の夜、小動物が柿の木に登っています。今日は熊ではないようです。ここから100m離れた家の柿の木に熊が先週登っていたとのことですので、残り少ない柿を全て落とすつもりです。
    畑では、8月から、万願寺とうがらし、伏見とうがらしが、とにかくたくさん出来過ぎています。親戚、友達に、随分と送りました。霜が降りるまで収穫できます。
    黒くなるのは、アントシアニンが出ているからで、これが体にとてもいいのです。スーパーでは、見た目が悪いので販売されませんが、アントシアニンの栄養素を知っている石田家住宅訪問者も、敢えて黒い万願寺を分けて欲しいと言われます。
    とにかく採れ過ぎ、、、
  • 一週間でこれだけ(写真をクリックで拡大)

       
  • 10月10日(金) (また、鹿が防獣ネットに、、)
    美山に来て7日目です。静寂の中で、夜、聞こえてくるのは、鹿の鳴き声と、猪が家と畑の周囲を囲っているトタンやワイヤーメッシュにぶつかり倒そうとする音だけです。
    一昨日、夜中に、同じ方向から聞こえる鹿の鳴き声が、いつまでも続いていました。
    夜が明け、鳴き声の方向に目をやると、隣の家の田んぼの防獣ネットに、鹿が角をからませていました。
    しばらくして、猟師が来て、殺処分されてしまいました。
  • もがく鹿で〜〜す(写真をクリックで拡大)

       
  • 10月 6日(月) (台風18号の雨で、ふと下の田んぼを見ると、昼間から、、)
    美山に来て3日目です。台風18号が通り過ぎましたが、雨は、昨日以来降り続けています。
    昼前に雨の様子を見ていると、すぐ傍の田んぼに、猪の子供が5匹がいるではありませんか、、。こんな昼間に家の傍で見ることがないのですが、しばらく見ていました。
    この写真撮影をして、大声で「ウォーッ」と言うと、一目散に逃げて行きました。
  • ミミズが大量に出てきたのかな?

    私の大声で一目散、、

       
  •  9月 6日(土) (畑の中にゴルフボールが散在して怒りが、、)
    8月25日に美山に来て、草刈りを3日間、終日行いました。畑には、草は伸びているものの、万願寺、伏見トウガラシ、ナスの苗木が、30本くらいありました。
    ところが、草刈りをしていると、ゴルフボールが見つかりました。日を追う毎に増え、全部で11個畑に散在し、一部は、家の近くにまで達し、もう少しで家のガラスにも当たったかも知れないと思われる物もありました。また、万願寺の苗木が1本折れていました。
    これには、さすがの小生も怒りを覚え、過去に何度かありましたが、数個程度でしたので、イザコザにならないよう我慢してきました。しかし、今回は、黙っているわけにはいかず、ある家の人に状況を話しました。
    「うちの人はゴルフをしないから違う。」と言われるので、「過去に見たことがある。」と言うと、「姉の主人がするけれど、この1カ月の間に来たのは、その家族だけれど。私は昼間働いているので、「そうだとは言えない。」と言われるので、「一度、警察にでも相談をするから。」と言うと、「警察だけは待って。その親戚に確認するから」と言われた。
    しばらくして家に見え、「その子供(40才前後か?)が来て打ったらしい。」と言われた。「わかったらいいけれど、非常識だ。人の畑に向けて打つことは、尋常ではない。」と言いました。
    本当は、本人に直接謝って欲しいのですが、、
    1. (写真をクリックで拡大)
  • (猪に三重の防獣対策部署を壊されて、、トホホホッ、、)
    第一関門のトタンと防獣ネットを押しのけて、猪が入ったようです。
    畑に行くには、もう二箇所防御柵等がありましたが、こじ開けられていました。被害はサツマイモで、毎年食い荒らされる里芋は、草が生い茂っていたためか、被害は免れました。
    サツマイモは、被害を見こして滋賀県の自宅近くの畑にも植えていますので仕方ないな。でも悔しい。
    1. かなり大きな力で
       
  •  9月 1日(月) (台湾からの訪問者に英語が応対し、日本語で「おじさん、英語が上手い」と褒められました)
    一昨日、「Can we see?」と言われましたので、英語で応対しました。台湾の台北市から見えた若夫婦で、日本の古い民家を見て回っているとのことでした。
    「美山町の茅葺集落を見てきたけれど、普通の家に茅葺屋根が乗っているだけで、つまらなかったけど、石田家住宅はすごい。」と感動してもらいました。
    お帰りの時に、日本語で「おじさん、英語 上手い」と褒められました。出てこなかった単語も随分あったけれど、、
  •    
  •  7月20日(日) (蜂の巣を潰しました)
    萩市に帰省をしたり、守山市にいた二週間の間に、石田家住宅傍の傍にある本宅の軒下に、蜂の巣が出来ていました。
    15日に来て、16日は気付かなかったのですが、17日の朝、洗濯機を回していた時、ふと上を見ると、蜂の巣がありました。頭の上1mでしたので怖くなり、白の服装に着替え、スプレーを持ちながら、長い竹で潰しました。
    昨年は二度刺され、大変な目に逢いましたので、本当に怖いですね。ところが、そのすぐ近くに、初めて見る、変な巣を見つけました。これは何の巣だろう。みなさん教えて下さい、、、。
  • フマキラー2本を吹き付けながら長い竹で潰しました

    何の巣??

       
  •  6月19日(木) (たくさんのジャガイモが食べ尽くされてしまいました)
    今年も、たくさんのジャガイモを植え、6月下旬あたりの収穫を予定していました。それらは、石田家住宅訪問者で希望者にお分けする予定でした。
    ところが、前回石田家住宅に行き、ジャガイモ畑を確認すると、植えた場所に見あたらない。
    「やられた〜ッ!」。トタン、ワイヤーメッシュ、防獣ネットで囲った周囲を点検すると、トタンの継ぎ目部分で地面を掘り下げて侵入したようでした。すぐに杭を数本打ち込み、ワイヤーメッシュを追加補強した上に、外側下に材木を置き、掘ることが出来ないようにしました。
    その他の場所も補強し、蒸し暑いのに終日費やしました。家族や子供たち家族が食べるジャガイモは、滋賀県で作っています。
  • 植えたジャガイモが消えた畑

       
  •  5月12日(月) (竹林あっても竹の子が収穫出来ない??)
    石田家住宅の傍に広い竹林があります。最近、竹の子を収穫出来ない状況が続いています。
    竹の子は全て猪が食べるのです。だから竹も出来ないのです。今年、囲いをして、来年から採れるようにします。
  • これが竹林です

    猪が竹の子を全て掘り起こし荒れ放題

       
  •  5月 8日(木) (たくさん植え付けしました)
    今年も、石田家住宅の下に、たくさんの苗を植えました。石田家住宅訪問者に、採り立てをお分けしますよ。
    ピーマンは、1本で100個近く収穫出来ます。
  • 植えましたよ

       
  •  4月 9日(水) (岩手県の仮設住宅の方々へ歌のCDを贈りました)
    過日、仮設住宅居住者の多い気仙沼市役所、南三陸町役場、石巻市役所に、次のような文書を入れて、10数名のCDを贈りました。小生の住所は、郵便局で理由を言い、無記名とさせていただきました。
    この話を友人等に話をすると、その一文を是非HPに記載すべしと言われ続け、恥ずかしいながら今回載せました。少しの手助けですが、石田家住宅訪問者からいただいた石田家住宅維持管理協力金を義捐金としてお送りして以来の小さな支援と思っています。(歌のタイトルは、「管理者」をクリックして見て下さい。エクセルファイルです。)
  •    
        仮設住宅担当者 様
      春の兆しがありますのに、今日は、東北地方には980ヘクトパスカルの低気圧が来るようで、雪も60cmと報道していました。ご健康に留意されるよう心からお祈りいたします。
      初めまして。復興の促進を心から念じております1人でございます。この度、このようにお届けいたしましたのは、以前から、仮設住宅などで生活なさっている方々に、是非とも思っていましたが、特定の所だけにお届けするのはどうかと案じ、躊躇していました。
      ところが先日テレビで、仮設住宅等で生活されている方の、認知症等のスピードが増す現象があるとの報道に接し、やはりお届けしようと思った次第でございます。
       (中略)
      毎日、夜は20時までに就寝し、朝3時前に起きる癖がつきました。その時に出会ったNHKのラジオ深夜便でした。 元々ギターが好きで、会社でエレキバンドを組んでいたくらいですので、3時過ぎからの「日本の歌」を聞き惚れこみ、友人から不要カセットテープをもらい録音してきました。 そして、そのテープを流しながらパソコンに保存しました。そして編集する装置を購入し、一曲ずつ保存し、それらをCD化して自分で聞いてきました。
    親戚に脳内出血で倒れ、植物人間に近い状態になっていた方があり、これらのCDを渡しました。それらの曲を奥様がご主人に聞かせていたところ、歌に反応されたという話を聞き、うれしくなりました。
      その後、時折ですが、老人ホーム等に、それらを差し上げる活動をしてきました。それが今回お届けするCDです。ただ聞くだけですので、著作権には問題ないかと思いますが、必要ならばご確認下さい。iTunes等でインポートすれば、コピーも可能かと思います。
      これから暖かくなり、皆さんがお集まりになる機会も多いかと思います。是非、懐かしい歌を聴きながら歌い、そして当時の人や場所等を思い浮かべながら脳の活性化に役立っていただき、元気さを取り戻していただきたいと思いお送りいたします。
      是非皆さんが元気になられ、早期に仮設住宅の生活から解放されることを、心からお祈りいたします。
      ではお元気で。
    追記
      録音技術もない素人ですので、曲によって音量が違ったり、ラジオ電波の加減で雑音が入ったりしていますが、ご容赦下さいませ。    
  •  4月 4日(金) (萩市出身の訪問者は、父親同士が萩市の明倫小学校で勤務とは、、)
    昼食を終えて出ると、お二人の女性が外からこちらを見ておられたので、「見られますか?」と声をかけました。
    いいですかと言われ、敷地内に招き入れ説明をし始め、小生が萩市出身だと言うと、年上の女性が、「ええ〜ッ、私もよ」
    小生の父親が昭和11年から、明倫小学校に勤務していた話をすると、その方のお父さんが校医をなさっておられて、多分知っておられると言われました。
    早速、父に電話をすると、「知っている。自宅は山口銀行萩支店の近くにあった。自分が見島(萩市の沖合にある)中学校長の時に、娘さんが見島小学校の先生でおられた。」と言うので、その方に告げると、とても驚いておられました。
    聞けば、その方も先生だったようで、教え子の女性とお二人で見えたようでした。
    とても嬉しい方との出会いでした。
  •    
  •  2月21日(金) (NHK文化センター京都教室の講座参加者50数名が見学)
    NHK文化センター京都教室の受講者が、18日と20日の二日に分けて見学に見えました。
    一行は、「森と人との歴史・文化」講座参加者の方々でした。ご苦労様でした。
  • 受講者ご一行様

       
  •  2月17日(月) (垣に雪が降り凍り、また降り積もり、獣も楽々自宅敷地内に侵入 鹿も昼間から近くに出没)
    この侵入者は大きい獣、、
  •  

    木々も雪の重みで撓み、獣の進入路となり

    これは何の足跡か?

     

    大きい足跡?

    いつもは明るい内には人家の近くに来ない鹿が、、

    餌探しか?

       
  •  2月 7日(木) (雪の石田家住宅と周辺)
    この20日間の様子を写真にしました。
  •  

    パノラマ画像です

    今年は重い雪です

     

    杉も雪の重みで撓み

    雪の重みを耐えて(翌日)

    囲炉裏に火を入れ、煙で萱を乾かさねば

     

    氷点下でのツララ

    ツララで萱も破損

    家もスッポリ雪に

     

    小屋も一段と傾き、、、

    撓んだ竹

    タクアン用の250本の大根が凍って、、、

       
  •  2月 3日(月) (今年の公開について)
    消防設備の点検に、綾部市の大槻ポンプの方が二人見えた。
    作業が終了する頃に、南丹市美山支所から担当のK氏が見え、「今年も、春からの公開ではお世話になります。」と言われた。
    昨年、土蔵の一部崩壊により、行政としての公開は中止を決められた。その後、土蔵を修復したわけでもないし、今後その予定もないことは知っておられるので、それを再度申し上げた。「その上で行政側が公開を決め、来訪者に危険が及ぶことがあれば、責任は全て行政側にあります。よく検討して下さい。」と申し上げた。

  • 12月10日(火) (数年ぶりの萱刈り)
    石田家住宅は個人所有の文化財です。萱屋根の葺き替えには、1,000万円は必要です。その場合、所有者は約100万円の負担をしなければなりません。
    それを捻出するために、田んぼに生えている萱を刈って溜めこみ、葺き替え時に売却することにしていました。
    ところが、鹿が新芽を食べるようになり、生えた萱も細いものばかりで、ここ10年くらい前から刈ることを諦めてきました。
    ところが今年は、萱も成長し、やっと刈り取ることが出来ました。それは、まず小生が、萱の生える荒れた田んぼの近くを囲い、鹿が近付かないようになったことと、自治会が荒れた耕地の野焼きが行ったので、新芽がよく育ったのです。一人で作業するのは大変でしたが、たくさん刈って立て掛けました。
  •  

    刈る前に、上部を紐で縛ります。その後刈ります。

    萱の上の方に鳥が巣を作り蛇等から身を守ります

    畑のあちこちに萱を立て掛けました。

       
  • 12月 7日(土) (鹿が防獣ネットに引っ掛かり、、、?)
    道路のすぐ上に、松と竹の混在した山があります。以前は、毎年春になると、竹の子がたくさん採れていました。
    それが、ある時から、竹の子が地中にある時期には猪が掘って食べ、地上に出てくると鹿が食べるようになりました。
    そこで、ある範囲に、防獣ネットとワイヤーメッシュを張り巡らし、ようやく食卓に出るようになりました。
    赤土に出来る竹の子は、特に美味しいので、獣が食べ尽くすようです。
    先日、来春に備えるため点検すると、今春には見られなかった二重にしている防獣ネットが巻き付いていました。よく見ると、防獣ネットに巻き付いたのか、鹿の骨がありました。
    よく見ていればいいのに、、、、、。頭蓋骨だけは、地中に埋めてやりました。
  • 死骸の一部

       
  • 12月 4日(水) (あの枯れた松は石田家住宅を直撃しますよ!!!)
    石田家住宅の横にある山には、枯れた松があります。倒れると某工務店の小屋に当たるかもしれないものや、道路や南丹市に貸与している駐車場に倒れる可能性のある松もあり、家族で倒す計画をしました。
    危ないと思われる松の内、倒れる方向を見極め、私がチェーンソーで8本は倒しましたが、素人では困難と思われるものについては、森林組合の方にお願いすることにしました。
    点検の結果、1本の松が倒れた場合、石田家住宅を直撃するだろうと言われたものがありました。その松を伐採するためには、他の松を数本切らねば処理できないようでした。
    昨秋、枯れた大きな松が、幸いにも夜中に、道路と駐車場に倒れるということがありました。
    今年、他にも同様な場所に倒れるかもしれないので伐採を南丹市にお願いしました。駐車場は南丹市に貸与しており、かつ又、石田家住宅をHP等で公開しているため、お越しになられた方が大事故に遭遇することも考えられるからと切望しましたが、「駐車場は文化財と直接関係がない。」ため、依頼は拒否されました。
    今回は、直接石田家住宅に被害を与えるのでと思い、その処理を依頼しているところです。
  •  

    石田家住宅を直撃すると言われた枯れた松(その右の松は、直撃は免れるらしい)

    昨秋、夜中に枯れた松が道路と駐車場に!!

    山で切り、ローブに縛って1本1本、一人で下ろして来ました。1本60kgはあります。(元気お爺さんで〜〜す)

       
  • 11月 5日(火) (雄鹿が田んぼの防獣ネットに、、)
    昨日、この地区で猟をされる猟師のTさんが、置いている猪捕獲用の檻を見に来られました。
    二週間前に、石田家のすぐ下の田んぼ(貸しています)の防獣ネットが動くので確認すると、雄鹿が防獣ネットに角を引っ掛けて動けなくなっていました。早速、この辺りで猟をするTさんに連絡して、来てもらいました。
    猟師なので鉄砲を持参しておられたので、撃って持ち帰られるだろうと思っていると、「民家から200m以上離れないと、発砲することが出来ない」と言われ、3m位の木にナイフを取り付け、それを持って鹿に近づいて行かれました。
    鹿の動きが止まった瞬間、心臓を一突きされた。血が吹き出ても、しばらく立っていましたが、そのうち倒れました。(その一部始終をビデオに収録しましたが、見ていません。)ウィンチで引き上げて帰られましたが、ほんの少し手伝いをしただけなのに、お礼として5,000円いただきました。
    聞けば、このようなケースの場合、電話をした人には必ず5,000円渡しているとのことでした。
    鹿は行政で確認してもらうと、禁漁期間ですので15,000円くれるそうです。(11月15日から3月までの猟解禁期間は20,000円)
    これで石田家住宅周辺を荒らし回る鹿が一頭減りましたが、減る数より増える数の方が多いので困りますね。
  • 角をネットに引っかけた鹿


  • 10月31日(木) (崩落した土蔵周辺を清掃しました)
    先日崩落した土蔵でしたが、きれいに清掃しました。(土納袋で35袋になりました。)
    しかし、いつ崩落するやも知れず、気になります。それでも観光客は見えています。
    「見せて下さい。」と言われた方のみ、私が土蔵の様子を見ながら文化財に案内することにしています。
  • 崩落した蔵の壁。危険!!


  • 10月27日(日) (土日祝祭日の公開を中止:南丹市)
    土曜日に急報を受けた南丹市の担当者が訪問し、写真を撮影し、土日祝祭日の公開を中止することになりました。
  • 崩落した蔵の壁。危険!!(南丹市より写真をメールにて提供されました)


  • 10月26日(土) (蔵の壁が一部崩壊。崩壊しかけの壁に十分注意して下さい。)
    「石田家住宅に隣接する蔵の壁が、雨により遂に一部が崩壊しました。」と、先ほど担当の徳ちゃんより電話連絡がありました。
    昨年秋の長雨で下部の壁が落ち、今回は上部の壁が崩壊したようで。
    まだ落ちかかっている壁があるとのことで、いつ落ちるかわかりませんので、危ないようです。通行されない方がいいかと思います。

  •  9月 6日(金) (日野てる子さんに似た方と写真に。メールでお礼と写真が、、うれしい !!!)
    3日、入口の看板を読まれている若い方がおられました。「若い人なので、見せて欲しいとは言わないだろう」と思い、家の中に入りました。
    ところが、入口で「すみません」との声が聞こえました。「見せて下さい」と言われたので、案内と説明をしました。男性は、建築関係の仕事をされているとのことでした。女性は、あの日野てる子似の方で、とても礼儀正しい方でした。
    お帰りの時に女性から、「一緒に写真に写りましょう。」と言われ、一緒におさまりました。
    昨夜のメールにて、お礼の言葉と共に、写真が添付されていました。やはり私にとっては、日野てる子さんですね。ありがとうございました。彼にもよろしくね。


  •  8月23日(金) (石田家住宅の来客担当者は、元気ですよ。!!)
    昨年春まで、南丹市が臨時嘱託で採用されていて、毎年4月から11月までの土日祝祭日に石田家住宅で、来客者の応対をされていた山口さんは元気ですよ。
    先日見えた方から、様子を聞かれましたので、ここに報告させていただきます。
    現在、92才ですよ。
  • 担当として勤務中の山口さんで〜〜〜すよ。


  •  6月29日(土) (消火器収納箱が新しくなりました。3年かかりました。)
    遂に、3年越しに、消火器収納箱が新しくなりました。この更新費用は1万円弱くらいのようですが、その予算がなかった南丹市は、本当に大丈夫なのでしょうか?
  • 遂に更新された消火器収納箱


  •  6月21日(金) (阿津さん、差し上げた「菊芋の味噌漬け」に、少し酢が入り始めていて、ごめんなさい)
    とても、話し好きな阿津さん、色々と話を合わせていただき、ありがとうございました。
    雨でしたので野菜をあげることができなくて、「菊芋の味噌漬け」を無理やり差し上げました。お帰りになってから昼でしたので、ビールのつまみで菊芋を食べました。
    味噌、麹、味醂で漬け、冷蔵庫に入れ、最近まで食べていましたが、少し酢が入っていました。私はそれを食べましたが、他人に差し上げたのは大変失礼なことで、ここにお詫び申し上げます。住所を記述されていましたので、改めて速達でお詫びの言葉を申し上げました。


  •  6月19日(水) (中瀬さん〜〜〜、蛍を見に来て下さい〜〜〜い。)
    向日市から見えた中瀬さん夫妻、また来て下さい。今日は、コスレタスとチマサンチュ、ピーマン(かなり大きくなっていました)を差し上げましたけでど、味はどうだったでしょうか?
    その後に見えた「おっさん7人衆」は、「必ず声をかけて下さい」との看板も履行せずに住宅に入っておられました。
    誰もいない時に、火鉢、火バサミ、こたつ等、色々な物を盗られたので、声をかけていただきくようお願いしているのですと話しをしました。
    中瀬さんは、「見せて下さい」と言われ、また、私の話にも気楽に乗っていただいたので、野菜(ジャガイモ、チマサンチュ、たくさんのキクレタス)を差し上げました。
    お泊りで、蛍を観に来て下さい。缶ビール5本持参で、、、


  •  6月 9日(日) (いや〜〜ん。邪魔しないで。いいところなのだから、、、、)
    昨日まで石田家住宅に10日間いました。その間にも、多くの方との出会いがありました。
    かやぶき美術館の方々、大阪の主婦連中、神戸市の北瀬さん他、畑仕事、草刈り、あるいはチェーンソー間伐等の作業途中での、出会いでした。
    畑では豆類が最盛期で、家族用には真空パックをしましたが、なお、たくさんの豆があり、「必要な方は採って下さい」と言うと、大勢の方が畑で収穫されました。
    出会いと言えば、畑の草引きをしていると、そこでも出会いがありました。でも、
    「いや〜〜ん。邪魔しないで。いいところなのだから、、、、」
    と言われて、そっとしておきました。
  • 微笑ましいお二人ですね、、


  •  5月29日(水) (消火器収納箱の破損から3年。土蔵は倒壊の危険性あり)
    平成22年度に、石田家住宅の外に設置されている消火器の収納箱の「扉と箱底が破損」して3年が経過しました。
    その都度、訪問客を含め行政側に修理を依頼していましたが、現在も写真のとおりです。
    昨年末、石田家住宅を訪問された方から電話がありました。
    「京都府庁の文化財保護課に手紙を出しました。南丹市は、予算が無いのでできないということなので、石田家住宅の消火器収納ケースの崩壊の修復、土蔵は崩壊の危険性があるので、その対応策を取ることへの助言と、措置を講じず崩壊して訪問者等が怪我等をされた時の責任について、行政の対応検討を依頼しておきました。」
    これらについて、先日当方から行政側に出向いて、直接話をしました。
    すると、驚くなかれ、3年間も放置された話でしたが、翌日、美山町と南丹市社会教育課の担当者が見えました。こういう行動を取られたことに大変驚きました。
    何故ならば、「何を言っても動かない、何もしない行政」と、地元の人も言っていたからです。
    状況写真を撮られ検討しますと言われました。どうなるでしょうか?土蔵の「倒壊危険」の表示看板は作成して欲しいものですが、、、
  • 破損した消火器収納箱     雨により落ちた法面

    昨秋の長雨で支柱となる壁が崩壊 柱があるだけで重さに耐えているのみか?


  •  5月17日(金) (石田家住宅と野菜畑)
    石田家住宅とその下にある夏野菜を植えた畑を撮影しました。畑は20数年前までは田んぼでしたが、小生のワイフの両親が亡くなってから数年間放置したため、萱だらけになりました。
    この20数年間、滋賀県から1ヶ月に1度来て、草刈りやすぐ傍にある山の木々の間伐をしてきました。
    萱の草刈りは大変で、萱は草とは違い硬いため、腰も使うことにもなります。
    草刈りをしてきたのは、時折、石田家住宅を描く人がおられ、草刈だけはしなければと思ったからです。それと同時に、地域の人や石田家住宅来訪者に、「放置農地」と思われるのが嫌だとの考えもありました。
    しかし60才を過ぎた頃から、「これからも同じように草刈りを継続することが困難になるかもしれない。」と思うようになり、思い切って萱を除去することにしました。萱でなく、草なら刈り易いからです。
    一昨年、ミニ耕運機を購入し、萱の根を、根こそぎ取り除きました。そこに野菜の種を蒔くと、立派な野菜がたくさん出来ました。
    それらの野菜は、訪問者に無償で差し上げてきました。今年もミニ耕運機で整地をし、夏野菜も植えました。
    耕運機で耕すと、空を鳶が舞います。地中にいるミミズやカエルが現れ、それを食べるためです。鳶が食べていると、カラスが複数羽来て鳶を追い払い、カラスが餌を食べます。鳶の方が大きいのですが、、、
  • 石田家住宅を右に見て

    隣の田んぼから様子見

    獲物を捕え食べる。その後、カラスが来て鳶を追い払いました


  •  4月24日(水) (文化財探索の大阪の方達)
    23日15時を過ぎて5人の方が見えました。「見せていただけますか?」、「どうぞ」と、先ほど一旦閉めた石田家住宅を開け、電気を点けて説明をしました。
    お一人の方が時々皆さんに説明をされていましたが、学術的なことも含めての説明で、感心していました。
    皆さんに「HPに載せてもいい。」との了解を得て撮影しました。ご苦労様でした。
  • 笑って欲しいのですが、、、


  •  4月15日(月) (たくさんの来訪者。ライダーさん、資料返して。Kさんも西村さん、また来て、、、、)
    昨日は天気も良く、午後からたくさんの方が石田家住宅の見学に来られました。
    16時頃(通常は閉館時間)から若者6人のライダー、丹後からKさん、京都市内の75才の西村さん家族が見学され、キャベツ、ネギ、ブロッコリー、味噌麹菊芋を差し上げました。
    ライダーのどなたかに、石田家住宅の個人資料を皆さんにと渡したのですが、数10枚の資料全てを持ち帰られました。出来れば返却して下さい。
    Kさん、是非また来て下さい。語りましょう。
    西村さん、75才にしては、とても元気ですね。あの缶ビール(24本で1,780円)は美味しいでしょう?味噌麹菊芋が、酒の肴にいいですよ。2回目の訪問でしたが、是非、また来て下さい。お泊りなら、私が早く寝てしまう癖がありますので、お友達も連れて来て下さいよ。三橋美智也と春日八郎のCDはどうでしたか? 良いでしょう。昭和20年代を思い出しますね。

  •  2月17日(日) (足跡は何の獣???)
    毎夜、出没する獣の足跡。本当は撮影したいのですが、、、。写真を見て下さい。  知っている人は、教えて、、、、、
  • 雪を避け石田家住宅の縁側で寛いだのかな??

    不明足跡1

    不明足跡2

    不明足跡3

    不明足跡4

    大きい足跡。決して私の長靴の足跡ではありませんよ。1

    大きい足跡。決して私の長靴の足跡ではありませんよ。2

    大きい足跡。決して私の長靴の足跡ではありませんよ。3


  •  1月28日(月) (雪に包まれた茅葺き)
    雪に包まれた石田家住宅をライトアップして撮影しようと思い、27日(日)夕刻、準備をしていた。前日降った雪は、昼間の気温上昇により少し融け、萱から滑り落ち全体を覆っておらず、その夜から降る予定の雪に期待した。
    暗がりの17時を過ぎているのに、「すみません」と声が聞こえるので道路の近くに行くと、男性2人、女性1人が、「見せていただけないでしょうか?」と言われるので、ご案内しました。囲炉裏の火を見て「すごい」と感嘆の声を上げておられ、50才代半ばの男性は、とにかく多くの写真を撮影しておられた。
    年のいった男性が、「以前にも訪問し、今回は二度目ですよ」と話されながら、ライトに照らさた萱を見上げておられたので、小生がその光景を撮影しました。50代半ばと言われたご夫婦は、粉川(こかわ)さんと名乗られました。私にとっては、初めて接する苗字の方でした。
    結局、小生のライトアップ写真は、翌28日の早朝になりました。HPに載せましたが、ファイルをダウンロードして大きい写真にしたいと連絡をいただいた方があり、ここに、他に撮影した写真とともに掲載いたします。画素は約三分の一に落としています。ファイル保存は右クリックです。写真をクリックすると大きくなります。
  • 獣の足跡ですが、どれが何なのか??

                   

    「父母の部屋」と囲炉裏

                   

    釜戸と囲炉裏

                   

    萱を研究中のおじさん。小生と同い年と言われるけれど、私から見れば随分年配だよ

                         

    ライトアップの石田家住宅です。寒かったよ。


  •  1月16日(水) (故「大島渚」氏のご冥福をお祈りいたします。)
    石田家住宅が国の重要文化財に指定、修復されてから初めて訪問された俳優は、故大島渚氏と奥様の小山明子さんでした。大島渚氏のご冥福を心からお祈りいたします。

  •  1月15日(火) (「これはすごい」と、、。)
    新年のお飾りを外さなければならず滞在。12日(土)は、5組のご夫婦や、それらしき方々?が見えました。
    設計の仕事をされ、学校で教鞭をおとりになっておられる先生は、とても関心が高く、写真をかなり撮られ、小生が囲炉裏に火を入れる時にも、火吹き竹で火を起こす姿までカメラに納めておられました。それなりの田舎で居を構えておられましたが、野菜は購入されるとのことで、大根と、根っこのついた春菊を差し上げました。「春菊はご自宅で植えていただき、下から、かいで食べていただくよう話しました。」(「かいで」は、辞書になかったのですが、よく使います。誰か漢字を教えて下さい。)
    もう一組の方で、60才代の男性が、囲炉裏の火と、屋根から煙が出ている光景などを見ながら、何度も何度も、「素晴らしい。これは素晴らしい。」と、感嘆される言葉を発しておられたのが、とても印象的でした。

  • 12月28日(金) (それは無料野菜ではなかったのよ、、トホホホッ、、、)
    先日、美山に行き、2度目の漬物用の沢庵、日野菜、白菜を畑で採り、冷たい水で洗って干していました。大根は、約150本を、4本づつ紐でくくりました。とても寒く、訪問者も無いように思っていましたが、家の下の畑にいると、声がするようで、石田家住宅を見学されたのでしょうか。しばらくして上に上がると、訪問者が駐車場から出る直前でした。
    3人おられたおばさんのうち一人が、「野菜をいただいたから、お礼を置いたよ。」と言い、車で行ってしまいました。
    「え〜〜っ」と野菜を干していた所を見ると、大根や白菜が少なくなっていた。漬物にするために干していたのに〜〜〜。持っていかないでよ〜〜。                       

    このような状態で干していました

  •                    
  • よく見ると、無料で野菜をあげるためにいつも表示している団扇をそのままにしておいたのが間違いでした。大根は紐でくくってあり20本以上、白菜は四分の一にしたものを4つ持っていかれました。でも、仕方ないな。「ご自由にお取り下さい」と表示してあれば持って帰るよな、、、、。                               

    いつもこの団扇を置いて無料の野菜をお取りいただいています。中には、「もっと売って下さい。」と言われる方もおられます。

  •                       

    置かれたお代は、30円でした。


  • 12月 4日(火) (高校建築系の先生からの御礼状)
    今秋ある夕刻、石田家住宅にいる時に、訪問者がありました。聞けば、高校で建築の先生をされているというお若い女先生でした。かなり興味をお持ちの様子でしたので、住宅の説明をしました。かなりの時間を費やして写真を撮られていたので、本当に熱心さが伝わってきました。
    その姿を見て、ふと石田家住宅の改修工事を記録した「重要文化財 石田家住宅修理工事報告書 (1975年)」(amazonでは、35,000円くらい)の写しを差し上げようと思いつきました。過去には誰にもコピーを差し上げたことはなく、その旨の説明もしました。
    何かお土産をと思いましたので、前年に塩漬けをしていた、サツマイモのツルを差し上げましたが、少し驚いておられました。
    この日から、しばらく時間が経って、御礼状が届きました。
    「個人を特定できないようにして、HPに載せたいのですが、、、」と連絡をし、ご了解をいただきましたので、ここにご紹介いたします。
    先生、生徒の指導にがんばって下さいよ。石田家住宅に興味ある生徒さんに、話をして下さい。
  •                       

                          


  • 11月25日(日) (ここにある菊芋を全部売って下さい。)
    無料野菜のうち、出していた菊芋を、「全部いただきたい」と言われ、「いいです」よと言ったのですが、千円をどうしても取ってもらいたいと、70才くらいの女性に言われました。「無料ですから」と言いましたが、「ここに出しておられるものを全ていただきたいのですから、どうしても千円だけは納めていただきたい。」と言われました。
    これだけではいけないとので、畑に行き、大根、カブ、ヤーコン等、たくさんの野菜を渡しました。
    「竹の子が出る頃、蕗が出る頃に、また来ます。よろしく」と言っておられました。優しそうな方でした。

  • 11月23日(金) (無料野菜に大人気で、何度も畑に、、)
    「菊芋無料であげます」、「野菜はご自由にお取り下さい」と、石田家住宅の入り口掲示板に張り紙をしました。
    最初の方が私に近寄ってこられ、文化財の見学と思いきや、なんと「友達が糖尿病で、菊芋を購入して食べると数値が下がっているので購入しますのでわけて下さい。」と言われました。
    「無料ですので差し上げますよ」と言い、多くの菊芋をあげ、無料野菜もお持ち帰り頂きました。
    見学に来られ、野菜をお持ち帰りいただいた方は、この3日間で20数人で、ご丁寧な方は、お礼の葉書も頂きました。ありがとうございました。漬物を送ってあげますよ。

  • 10月24日(水) (上を向いて歩こう)
    10月1日の未明、石田家住宅の駐車場近くで、松食い虫により枯れた松が、道路上に崩れ落ちたようだ。幸い、夜だったので人気もなく怪我人が出なかったが、明るいうちで、車や人がいたら、大きな惨事になっていたかもしれません。
    従来、枯れた木々がある場合は、観光客の誘致を促している南丹市社会教育課(以前は美山町教育委員会)が、点検をしてくれて、事前に伐採をしていましたが、最近は何もしてもらえず、今回このようなことになりました。
    いずれにしても自然のことでもあり、ご注意をお願いいたします。
  •     

          


  • 10月11日(水) (今日の訪問者に、たくさんの種類の野菜を差し上げました)サツマイモの苗を10苗購入し植え、二度猪に荒らされ、多分、あまり出来ていないだろうと思っていました。掘り起こすと、なんと、大きなサツマイモがたくさん収穫できました。
    収穫を終え、一輪車で玄関に運ぶと、そこに私と同年輩のご夫婦らしき人と、40才前後のご夫婦らしき二組の方が、「文化財を見せて欲しいのですが、、、」と。「本当に見たいのですか」。「見せていただきたいのですが、、、」。「それでは、囲炉裏に火を入れて上げましょう」。
    とても好感の持てる方々で、私も気分をよくして、「野菜を差し上げましょう。」言い、畑に案内して、色々と差し上げました。帰り際に名字だけは聞きました。Nさん、Yさん、お気をつけてお帰り下さい。お味はいかがでしたでしょうか?

  •  9月23日(日) (鈴なり野菜を訪問者に差し上げていました)
    9月15日から石田家住宅敷地内の畑にて、野菜の収穫を毎日していました。現在は2週間毎に当地に来るだけですが、放置しておいた野菜だけは、大きく育ち、我が家だけでは消化することができないため、訪問された方に、差し上げています。
    この時期、特に美味しいのが「米(べい)茄子の白」です。これから10月中にかけて収穫します。一度食べてみて下さい。
  • 20cmを超える長さの茄子の鈴なりで今回約40個収穫

    1本約15個を収穫。それを数回繰り返しますので、70個〜80個収穫しています。

    菊芋の高さが、2mを超えています。「糖尿病も数値が下がる」とインターネット上に載っています。収穫は11月です。欲しい方は申し出下さい。無料で差し上げます。


  •  7月30日(月) (ご注意下さい)
    「7月初めの長雨により、石田家住宅の手前にある蔵の壁の一部が落ちて、蔵が崩壊する恐れがあるため、南丹市教育委員会に修復などの措置を講じなければ、見学者に危険が及ぶかもしれないと電話をして置きました。」と、7月26日、見学者から電話がありました。
    見学の中止がないのであれば、十分注意しなければならないと思われますので、注意して下さい。次に長雨でもあれば、崩壊しかねません。

  •  6月29日(金) (泊めていただけますかと連絡がありました)
    先週、石田家住宅を訪問された方から、宿泊体験をしたいと申し出がありました。小生が現地に行く予定日であれば、いつでもいいですよと返事をさしあげました。

  •  6月15日(金) (猿がジャガイモを全て〜〜〜  アア〜ッ)
    9日から美山に行った。いつものことながら囲いの中を点検した。畑のジャガイモの葉っぱが見当たらない。近くに行くと、全て食い荒らされていた。このジャガイモは、昨年収穫した小さなものから芽が出ていたものを植えたのです。育つかどうかわからず、どちらでもいいやと思って植えたのです。それが結構大きくなり、たくさん収穫できると期待したものでした。それが、、、、、。チクショウ〜〜〜
    この谷には、十数年前、集団で出現していたようです。それを猟師が散弾銃の弾を込めて脅そうとして、間違って猿に当たり、炸裂して肉片が飛び散ったようです。それ以来、全く猿は来なかったのです。鹿とイノシシ対策ができて安心でした。それが今年になり、1匹(年寄で集団から仲間はずれにされた??)だけが荒らし回っていると聞きました。
    その日、畑で作業をしているのに、5,6m先のエンドウ豆を食べに来た。持っていたクラッカーを鳴らすと、ゆっくり防獣ネットの外に出る。黙って作業をすると、また入る。またクラッカー。退散。。。。。。
    石田家住宅には近づく様子は全く無く、今は安心です。
    よ〜し。電気柵を入れるぞ〜〜〜。

  •  5月27日(日) (家族5人に、豆の収穫体験)
    おばあちゃん、ご夫婦、お子様二人の5人に、豆を差し上げました。このおばあちゃんは、年の頃、お孫さんの年令からすると、多分、70才前後でしょうか?囲炉裏に火を入れてあげると、大変感激され、お孫さんも、興味深そうに見ておられ、火吹き竹を使っている時の目は、とても不思議そうな感じで眺めておられた。なんとなく「豆を収穫されますか?」と、畑に誘いました。今、真っ盛りの豆を採っていただき、まだ収穫には早いのですが、ジャンボニンニクを根っこから引き抜いて、差し上げました。とても嬉しそうに、何度もお礼を言っておられました。喜んでいただいた表情が素敵でした。また来てね。

  •  5月16日(水) (すばらしき4組のご夫婦ご一行様のお一人から、いただきもの。ありがとうございました。)
    先日、石田家住宅にこられた方の1組のご夫婦から、小包が届きました。先日のお礼だとメモがありました。ありがとうございました。当日も、お土産にされる焼酎をいただきましたよ。気ばかり使わせることになり、返って失礼になったかと思っています。ありがとうございました。

  •    
  •  5月 6日(日) (すばらしき4組のご夫婦ご一行様)
    15時過ぎから強い雨で、16時前まで続いた。来訪者の応対するおばあさんが、入口を閉めて帰られた後、数名の方が案内看板を見られていた。
    「見せてもらえませんか?」と、にこやかに声をかけてこられた。その声と表情を見て、民家を見せてあげようと思い、邸内に案内をし説明をした。とても好感の持てる4組の御夫婦でした。こんないい方ならと思い、竹の子掘りにご案内したり、萩にいる97才の父親の手作り甘夏ジュースを出したりしてしまいました。自然とそうしてしまう心地良い御一行でした。ありがとうございました。

  •    
  •  5月 5日(土) (「1650年当時は、裸電球はなかったでしょう?」と言われ、、、)
    畑仕事をする合間に、囲炉裏に火を入れました。その光景を見ている方が数人おられたので、住宅の説明をしました。
    「1650年当時に復元したのです。」との説明に対して、「1650年当時は、裸電球はなかったでしょう?」と言われ、「そんなことをおっしゃるなら、申し訳ないのですが、説明はできません。」と言いました。なんてことを言う50才後半かなと思われる男性でした。(奥様もご一緒で大変ですね。)

  •  4月23日(月) (神戸市シルバーカレッジご一行幹事さんからメール)
    「大変お世話になりました。帰りのバスの中で、いただいた懐かしい「NHK等ラジオ歌謡、番組集」の歌を、みんなで大合唱して大感激でした。ありがとうございました。

  •  4月22日(日) (神戸市シルバーカレッジ卒業生平均年令70才ご一行様、御苦労さまでした)
    20日、「神戸市シルバーカレッジ卒業生平均年令70才ご一行様41名」の皆様が来られる日です。勤務を休んで滋賀から来ました。それは、平均年令が70才と聞いたからです。その年代の方であれば、「茅葺民家、釜戸、囲炉裏、田舎」等に、懐かしさを覚える年令の方です。是非とも、それを満喫させてあげたい。
     「綾部からです」と幹事さんから電話があった。「雨ですが、そちらはどうですか。大野ダムで桜を見ながら昼食ができないのなら、石田家住宅で食事をさせていただけますか?ビールを持ち込んでもいいでしょうか?」。すべて了解です。
    受け入れ準備のため、到着の30分位前から、釜戸、囲炉裏に火を入れました。そして、BGMとして、「NHKラジオ歌謡、番組集」を流し始めました。
    曲目や番組は、次のようなものでした。
      ・とんち教室(NHKラジオ番組) ・お父さんはお人好し(NHKラジオ番組)       ・二十の扉(NHKラジオ番組)
      ・話の泉(NHKラジオ番組)   ・笛吹童子(NHKラジオ番組)     ・紅孔雀(NHKラジオ番組)
      ・バス通り裏(NHKTV番組)  ・快傑ハリマオの歌(TV番組)主題歌  ・月光仮面は誰でしょう(近藤よし子、キング子鳩会の歌)TV番組
      ・シャボン玉ホリデー(TV番組)   ・てなもんや三度笠(TV番組)     ・お笑い三人組(NHKTV番組)
      ・とんがり帽子(NHKラジオ番組)    ・一丁目一番地(NHKラジオ番組)   ・三つの歌(NHKラジオ番組)
      ・山小舎の灯(NHKラジオ番組)   ・少年探偵団(NHKラジオ番組)   ・鐘の鳴る丘(NHKラジオ番組)
      ・森の水車(NHKラジオ番組)    ・赤胴鈴之助(NHKラジオ番組)   ・朝はどこから(NHKラジオ番組)
      ・夢で逢いましょう(TV番組)    ・大河ドラマ「忠臣蔵」のテーマソング ・おはなはん(テーマソング)

    釜戸、囲炉裏に火を入れる
    釜戸、囲炉裏に火を入れる(写真をクリックすれば大きい画面となります)

  • 囲炉裏の前で記念撮影をしておられました
    囲炉裏の前で記念撮影をしておられました(写真をクリックすれば大きい画面となります)


  •  4月 9日(月) (神戸市シルバーカレッジからの見学希望)
    神戸市シルバーカレッジの卒業生から見学希望がありました。平日であり、勤めを休んで、美山に行って応対します。

  •  1月17日(火) (遂に、旅行代理店に文書を出しました)
    石田家住宅の公開については、従来から、ウィークデーの団体の公開は、小生の都合のつく限りにおいて、滋賀県から現地に行って対応していました。
    ところが、その依頼も結構ありますが、お断りすることが多かったのですが、もっと多くの方々に見せるべきではないかとの意見も寄せられていました。それを今春から対応しようと考え、昨日、各ツーリストに文書発信をしました。
    極力、美山での在住時間を多くして、ウィークデーに受け入れが出来、より多くの方々に懐かしき昔を感じていただくよう考えております。
    茅葺民家そのものの懐かしさ、囲炉裏から上がる煙と屋根裏から出る煙、そして釜戸でご飯を焚く(時たま、訪問された老人が炊かれ、ご飯を食べられることもあります)様子等、60才前後の方以上の人には、たまらない、昔懐かしき、満喫できる「ひととき」のようです。
    これを、より多くの方の感動に結び付けるために、、、、、。

  •  6月23日(木) (他人が勝手に囲炉裏の横に趣味の物を陳列、、)
    6月17日より美山に行きました。文化財に入ると、囲炉裏のある場所に変な物が置いてあった。かずらで製作した大きな物で、どこかで見た覚えがあった。文化財所有者(人の家の中に、その家の人)が知らないうちに、他人が勝手に個人の陳列物を置いたことに立腹した。その物は、同じ集落にいるN氏の物だと思いました。
    翌日の夕刻、草刈り作業をしていると、N氏がやってこられた。「文化財に自分の作品を置いているけれど、家では誰も見てくれないので、ここに置くと訪問者が喜んでくれると思い置いた。おれはいいことだと思う。」。「文化財の所有者が知らないうちに、他人の家に勝手に何かを置くことはおかしい。しかもあなたの趣味の世界の物であり、石田家とは何の関係のない物です。困るので撤去してもらいたい。」。「おれはとてもいいことだと思う。」。「家主が、あなたの趣味の物を置いては困ると言っているので、すぐ撤去して下さい。」。もう子供の喧嘩と一緒でした。言い合いの末、製作物を軽トラックに乗せて自宅に持って帰られた。私の言うことは結局理解してもらえなかったが、私の方が、その行動と言動を理解することが出来なかった。

  •  3月28日(月) (近所のおばあさんから)
    滋賀県に帰る前に、近所に行った。「文化財から警報音が鳴っていたので切ったよ。」。
    「それはな、、、。3月初めから鳴っていた。何度も、美山町に電話をしたんだ。でもいつまでも何もしてくれなかった。最後には、漏電でもして火事になったら、美山町が責任を取って欲しいとまで言ったけれど、何もしてくれず鳴り続けていたんだ。」と聞いた。
    やはり、なにもしない南丹市というより、「何もされない美山町の担当者だ。住民の意見を聞くだけの、悲しい、寂しい、危険予知さえも感じない人です。」。こういう状況が、もう30年も続いています。
    全国の皆さん、聞いて下さい。文化財にと言われても、簡単に「おい、それと、そうしましょう。」は、不幸の始まりかも、、、。

  •  3月23日(水) (急ぎ、現地に出向く)
    気になりつつ、やっと石田家に来ました。早速敷地内に入ると、文化財の中からベルが鳴り続けていました。すぐに施錠をハズして中に入ると、温度感知器・煙感知器の配電盤にある赤の点滅が動いて、警報音を発していました。すぐに、スイッチとバッテリーを切り消音にしました。原因がわからない警告音だった。
    文化財の近くをゆっくり通らなければわからなかったかと思いました。

  •    
  •  3月20日(日) (今回も「ベルが鳴り続けているよ」とメールが、、、)
    遂に行かざるを得ませんが、雪情報があり、少し待つことにしましたが、天候が回復次第、現地に行きます。

  •    
  •  3月17日(木) (またもや、訪問者からメールで、「ベルが鳴り続けているよ」と連絡あり、、、)
    またもや、
       
  •  3月11日(金) (訪問者からメールで、「ベルが鳴り続けているよ」と)
    本日、石田家を訪問された方から、メールが入りました。「石田家を見学に行きました。敷地内には入れませんでしたが、道路から見ました。しかし、茅葺の文化財の中から、連続した警報音なのか、音が鳴り続けていました。気になりましたのでご連絡をいたします。」とのことでした。「大変ありがとうございました。」との返信をしました。
    音だけならば、温度感知器、煙感知器なので、特に問題ないのかと思い、そのままにしました。南丹市の美山支所に連絡しても、あの担当者ならば、何もしてくれないし、、、、

  •  2月11日(土) (「やっと少しの補助が」と思いきや、、何の話もないから、また騙されたのか?反故にされるのか??)
    20年くらい前から、石田家敷地内に文化財があり、来訪者への配慮をするため、色々とお金をかけてしなければならないことが多かった。「何も補助がない現状から、少しでも補助をしていただきたい。」とお願いしてきたが、拒否されてきたこの数十年でした。畑を潰して駐車場させて欲しいと言われた時には、「有償で借ります」と言いながら、駐車場が整備された後に何度か約束の支払いを履行するようお願いしてきたが、支払いをお願いする度に「そんな約束はしていない。」と拒否され続けてきた。
    昨年遂に、昨年4月から11月の間、石田家の所有者に対して、所有者の代理として小生が文化財内外の草刈りや清掃、整備等をし来訪者への配慮をすることにより、僅かですが、補助していただくことになりました。でも、その話は、いつまでもなく、残り1ヶ月で本年度も終了します。約束は、どうなっているの?
  •      
  •  2月11日(土) (給与は支払わないことになったA)
    (2月11日に聞いた話。)小生が、「南丹市の本庁に行って、直接未払い給与の話をしたよ」と、給与を支払ってもらえないと言われたおばあさんに連絡したけれど、いつまでも支払いはされなかったようです。生活の苦しいの88才の他のおばあさんもおられるので気になり、年末に担当者に電話をされたようです。
    そうすると、「貴方がた(88才の二人)には支払いをする。ただ、給与支払いをしなかったことを、S氏(小生)が南丹市の本庁に行って、未払い給与の話をしたことには困った。以前、S氏にも支払いをすることができると、あなた(おばあさん)に言っていたが、今回、S氏には支払いがされないことに決まった。」と言われたようだ。
    小生への支払い可否の話は、直接小生に言うべきことである(労働基準法にも規定してあります)。小生としては、何故なのか、その理由を直接、聞きたいし、支払う、支払わないと言うことが、どうして決められたのか、決定されたら、それを直接話すべきで、何も話がないまま、また勤務をしなければならない事態が発生する。  理解出来ない。この南丹市美山支所の担当者とは、昨年4月初旬と秋に顔を見て挨拶をしただけで、その後は出会っていません。連絡すべきことがあれば電話をしてもらいたいとお願いするとと、小生の電話等は何も知らないと言う。今までの担当者は、誰もが電話もしてきたし、郵便物、メールも来ていたけれど、、、。 そう言う人なのか??    
  •  2月11日(土) (給与は支払わないことになった@)
    (昨年、石田家を土日祝日に管理するおばあさんに、支払い給与の件で、こんな話を聞いた。)
    小生が12月4日に、給与未払いの話を聞いて憤りを覚え、みなさんの代行者として、未払いに対する小言を、それらを管理する南丹市の人事課に直接言うことにして出向いた。
    人事課には、今回の未払い対象者(88才の方2名、小生)のことを申しあげた。
    そうすると、「その給与は、直接、社会教育課で支払いをしているので、そちらに連絡します。」と言われ、社会教育課長が見えた。
    課長との話では、次のような申告をした。しかしながら、これに対する回答は、未だありません。おばさんの言うように、「それが田舎の役場だよ」か?          
      @土日、祝祭日に石田家の公開をする担当の二人の給与が、予算がないから支払いされていないとのことですが、南丹市の臨時職員として雇用契約をしているのに、給与が支払いされないのは、理解できず回答していただきたい。
             
      A平成22年3月までに南丹市の臨時職員として契約を行い、4月から勤務が開始されましたが、4月に、午前3時間、午後3時間を連続して行わなければならない人があった。これについて、6時間連続で勤務していても、5時間の給与しか、払うことが出来ないとしてカットされた。(確かに休憩時間を取らねばならないが、88才の人にとっては、わからない話です。こういう時には、カットする1時間だけ、長く勤務したとして処理し、不利益のないようにすべきでしょう。)「そんな説明は一言もなく、労働した1時間に対して支払いがされなかった。ひどいとをする。」との話で、地区の人を含め異口同音でした。(労基法「(労働条件の明示)第15条 使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。」に抵触)
             
      B小生のことです。嘱託職員の契約もしました。4月の給与は、私の口座に振り込みされず、他の担当者の口座に振り込まれ、私の時間給与だけを私に渡すように言われたとのことで、時間給をいただきました。何故なのかの説明もなく、「まあ、いいか」と思いました。(「労基法(賃金の支払)第24条」に抵触」)
      ところが、5月、6月に、同様な勤務をしたのですが、いつまでも支払いがありませんでした。その話を担当のおばあさんに話すと、「あんたには、働いても支払いができなくなったと言っていたよ。」と聞きました。(労基法「(労働条件の明示)第15条 使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。」に抵触。)
       その後、9月になり、このおばあさんから、「10月から、あんたにもキチンと支払うことが出来るようになったと言われたので、私たちが勤務できない時には頼むよ。」と話をされ、10月、11月に何度か勤務をした。しかし、この給与は支給されていません。その上、今回も、私の給与支払いに関係することは、直接私本人に言わなければならないのに、他人に、こうなったのだと言う南丹市の担当者、、、??。何故なの?と課長に問いただす。
             
      C駐車場の後方が、猪の乱入によって大きく、えぐられて崩壊するかもしれず、網を購入して猪の通行を防いだ。駐車場は美山町に貸与している場所であり、安全対策上、美山町が自ら為すべき必要があります。

  •  1月 7日(金) (雪の茅葺)
    一晩で50p以上の雪が降ったのだろうか?2時半に目が覚めた時には、既に降り終えていたのだろう。

    茅が見えない茅葺屋根です


  • 12月 4日(土) (管理いただいている人の給与は、予算が計上されていないから、10月以降支払いが出来ないという南丹市職員)
    公開は、11月23日で終了し、春以降、88才の近所のおばあさんには、土日、祝祭日に交代で見学者の応対をいただきました。ありがとうございました。みなさんは南丹市の嘱託職員として雇用され、毎月一定日に僅かですが給与が支払われています。
    この日、石田家に行くと、そのおばあさんの一人が見え、「10月以降については、予算がないから給与が支払えない。予算がついたら支払うと言われたが、そんなことがあるのか?」と言われた。
    「市の職員として契約しているから、給与支払いがされないのは、おかしい。月曜日に南丹市役所で確認してあげましょう。」と応えた。ひどいことを言う職員がいるもんだ。

  • 10月24日(日) (あちこちでクマ出没情報あり)
    23日の15時過ぎに、この樫原から車で10分以内の場所にクマが出没したと、有線放送で情報を流していたようである。9月には、この石田家住宅の上り口付近でクマが出たらしい。

  •  8月28日(土) (小鹿が邸内敷地に乱入し、鉄砲ユリを食べ尽くす)
    11日の夕刻、萩への帰省の途中立ち寄った時はどうもなかったが、今回行くと、敷地(約500坪)を防獣ネットの一か所が破られ、鹿が昨日まで侵入していたようである。
    今年も、ユリと萱葺民家の写真を撮影に来ると言われた方が多く、食べ尽くされていて、大変申し訳ないことをしてしまったとお詫びしたいと思います。
    補修はしましたが、今後のことを考えて、更に頑丈にしたいと思います。

  •  7月 8日(木) (山椒の実を訪問者にあげました)
    青い山椒の実がたくさんなり、10kg以上採りました。自宅で使うものは少し冷凍し、毎年大半を人にあげることにしていますので、見学者にも多く差し上げました。「農協への山し値が1kgで2,000円」と聞いたので10kg以上になると、結構なお金になるけど、人にあげて喜んでいただけるなら、その方が嬉しい。

  •  7月 4日(日) (蛍の乱舞にご満悦)
    6月30日から毎晩小川周辺の蛍を観賞する。毎日、次第に数が減少するのを見ながら、命の寂しさを想う

  •  6月20日(日) (「らくらくウォーキンクラブ―U」のご一行が見えました)
    「らくらくウォーキンクラブ―U」の方々が見えました。インターネット上で参加者を募り行動されており、びっくりしました。聞けば、小生の居住地のすぐ近くの方もおられました。とても楽しそうなご一行様でした。皆様と共に写真に収まったものが、ご一行のホームページにありました。ありがとうございました。お話しましたように、再度お泊りでおこし下さい。お待ちします。
  •    

  • 2010年 5月 6日(木) (釜戸にゴミを捨てないで)山口県に帰省した後、美山に行く。定められた公開日ではないが、小生が行く時には必要に応じて公開しています。
    昨日までのゴールデンウィークには、毎日50人程度の方が見学に見えたと、担当の方から聞いた。
    民家に入ると、釜戸に紙切れが入れてあった。飴の包装紙と、美山のお土産のレジレシートでした。
    釜戸は、ゴミ箱ではありません。
  • 2010年 4月21日(水)〜22日(木) (滋賀県守山市 吉身公民館 墨友会の皆さんがスケッチ)4月22日(木)の予定でしたが、当日が雨になる予報でしたので、前日(もともと美山には宿泊予定)に外観をスケッチされ、翌日、屋内を描かれました。ご苦労様でした。このホームページでの展覧会を楽しみにしています。
         

    天気も良く、田んぼからスケッチ 

    屋内スケッチの様子

      写真提供は、墨友会の小畠様でした。ありがとうございました。
       
  • 2010年 4月 4日(日) (京都林泉協会の例会で約50名の見学者)京都林泉協会の4月の例会があり、約50名の方が見学されました。
    事前に連絡がありましたので、美山に行き、囲炉裏に火を入れてお迎えしました。ご苦労様でした。
  • 2010年 3月28日(日) (萱葺屋根修復の様子)南丹市が依頼した美山萱葺の手により、北側の萱の差し替えが行われました。苔、草木が生えた部分を切り落とし、短く切った萱を差し込んで修復が終了しました。
         
          
          
  • 2010年 1月12日(火) (萱の葺き替えが決まる)南丹市教育委員会から連絡があり、崩れ落ちつつあった北方向の萱を葺き替えることになりました。
    2月1日に着工し、3月15に完了する予定です。負担額がどの程度になるのか心配になる。
  • 2009年12月13日(日) (小学生が民家に関心を寄せ、対応することに)
    滋賀県の自宅に電話があり、「民家を見ることができないでしょうか?小学校4年の子どもが、古い家を勉強しているので」との話しだった。連絡先をお伺いし、小生が行く日程を連絡し合い見学日を調整することにした。その時は、釜戸で火をおこしてもらい、自分たちで炊いたご飯を食べ、囲炉裏で何かを焼いてもらうような体験してもらおうかな。
  • 2009年12月 6日(日) (萱の刈り取りと立てかけ。個人の所有物を取らないで。)
       鹿が萱の新芽を食べて不作
      昨年辺りから、鹿が遂に萱(ススキ)の新芽を食べ始め、荒れた田んぼで借り入れをしていた萱は量が大変少なくなった。僅かに水路の斜面にあったものを刈り、束にして立てかけてた。

       又もや持ち去られた文化財内の小物
      管理者がいない間は、地元のN氏が文化財を開けて「本日開館しています」の看板を掲げておられる。そこにずっとおられるわけではないので、見学者だけになる。前回来た時にはあった釜戸の横の十能(小型のスコップあるいは柄杓(ひしゃく)のような形をした、炭や灰を運ぶための家庭道具)と火吹竹(吹いて火をおこす道具で竹で作った物)がまた無くなっていた。何回か持ち去れらたことがあり、その都度購入したり、製作したりして対応してきた。過去には、大きな古い火鉢や火バサミ、足を暖めるコタツ等、誰も見ていない時に持ち去られます。随分前ですが、敷地内に植えていたたくさんの千両や万両も、根こそぎきれいに持ち去られ、今では何にもありません。盗らないで
  • 2009年11月23日(月) 11月も末で、例年なら訪問者も多くないのですが、三連休でもあり、50名近い来訪者がありました。
  • 2009年10月30日(金) 大和文化会からも50数名の方が見学されました。  
  • 2009年10月11日(日) 近畿分科会から、50名を超える方が来訪
    ☆近畿日本鉄道鰍ェ、文化事業の一環として行っているもので、大学教授の解説を受けながら社寺・古墳・史跡などの文化財を訪ねる臨地講座で、今回訪問を受けました。17時の予定が少々遅れたため、茅葺民家をライトアップしてお迎えしました。ご苦労様でした。
  • 2009年 9月 大学生のインターンシップ体験実習を実施
       ☆茅葺民家で、釜戸と囲炉裏だけで食生活をし、来訪者の対応、農作業体験、近隣の高齢者世帯でのボランティア、竹に谷水を利用した「流しソーメン大会」の設営・運営、懐かしい歌を歌う特訓等を体験するものでした。食材はレトルト禁止。調味料は砂糖、塩、醤油、油、マヨネーズだけ。
     
       釜戸で御飯が焚けない
      ☆初日の夕食での釜戸で御飯焚き。キャンプ経験のある男性は自信があったのだろう。
      出来上がりは真っ黒い御飯。白い所だけを取り、野菜と肉の煮物とともに食べていました。
      ☆二日目の朝の御飯焚き。前日水が少なかったと判断し、かなり多目の水を入れて炊いていた。出来上がったのは、びちょびちょの御飯。
      強がりを言って、「昨夜の煮物に入れて、おじやで食べるので困りません」と。
      ☆弱気は全く言わないが、目が救いを求めていると思われ、昼御飯前に近所に住んでいる86才のおばあさんを呼んで、「炊き方を教えてあげて」と依頼した。
      二入とも真剣に、ずっとつきっきりで見ていた。それが功を奏し、夕食から、立派に炊けるようになりました。
  •    
       「茶碗?箸? 入れ物は自分で作れよ。」
      ☆食事をする頃になり、「茶碗や箸を貸して下さい。」と言ってきたので、「竹があるだろう。自分で作れよ。」と、貸し出しを断った。
      (この体験はサバイバルなんだけど、事前に、要求した生活状態に同意したのに、気持ちはそのようになっていない。)
       
       農村の仕事振り
      ☆昨年作ったコシヒカリは、今年も稲刈りを目前にしていたが、8月下旬に鹿、猪に全て荒らされてしまい、稗取り、草刈り等の手伝いをしてもらえなくなった。
      それを行えば、10kg程度のお米をあげる予定であった。それが出来ないので、荒れた田んぼを開墾して大根でも植えてもらおうと考えた。
      ☆「畑を開墾して大根でも植えて、年末に取りに来たらどうだい」と提案した。
      そこは、約20年に亘り、田んぼであったところを毎年萱を刈ってきた荒れた田んぼでした。少しだけインターンシップ学生用の野菜を作るため開墾したが、その横を更に開墾してもらうことにした。
      萱は約50cm鍬で堀り、根を這っている茎を全て除去しなければならない。
      ☆それでも彼らは長い時間がかかったが成し遂げた。近所のNさんと共に、肥料を施し種を播いた。後は小生が行う間引きと年末の取り入れを待つだけだ。
      ところが、Nさんが設置した鹿や猪などの防護ネットが1.5mくらいと低く、2mも飛び越える鹿に畑を荒らされた上、ネットも倒された。そこを猪がこれぞとばかりに入り、大根を掘り起こして荒らされ大根は全滅した。
       蛋白源確保のため、小浜漁港に魚釣り
      ☆肉も無くなり、蛋白源を確保するため、小浜漁港に行って魚釣りをして確保することにした。
      ☆朝4時出発だ。小生は毎日3時に起床するのでなんともない。それでも彼らは起きた。感心だ。小浜までの1時間、後部座席から鼾が聞こえていたな。疲れているんだな。
      ☆小浜漁港の突堤の「さびき」だ。この時間ならば、多分入れ食いだろう。餌はオキアミだ。これが「オキアミですか?」と感心している暇はないぞ。夜が完全に明けてからしばらく続行し、2時間半釣っていた。
      案の定、入れ食いでクーラーボックスに半分以上になり終了させた。今晩は、アジの唐揚だ。
      ☆と言いながら、近くの市場に行った。仲買人が協同建屋の中で魚を売っている。安い魚は、つばす(はまちの小さい時の名称で、「つばす」→「はまち」→「ぶり」と変わっていく)だけだった。30cmくらいのものが3匹で200円だったので、20匹程度を購入した。
         
       魚を捌いて、各種食べ物に
      ☆まず刺身だ。つばすは、海の傍で育った萩出身の小生にとっては、おいしくないものだが、安い淡白としては致し方ない。小生が三枚卸の実演を3本行い、その後学生に体験してもらった。捌く工程が少なく、これは皆すぐにマスターしていた。
      ☆味噌漬の焼き魚は、10本程度の魚を3枚に卸し、酒、砂糖、味噌を調合したものに漬け、冷蔵庫に入れた。12時間程度しっかり味を浸み込ませて、1枚づつラップに包んで冷凍にした。必要な時に焼き魚として食べる。
      ☆残りの数匹は塩をまぶして、囲炉裏で塩焼きにする。
      ☆釣った「小あじ」は、頭と腸を取り除き、洗って冷蔵庫に入れて、夕食に使うものと、冷凍にして後日解凍して使うものとに分別した。そのうち、40匹程度とつばすの刺身をそれぞれ、近所の独居高齢者の家に学生に届けさせた。
         
       高齢者のお助け
      ☆米焚きを教えてもらったおばあさんの畑の草刈りをしてもらった。事前に機械の取り扱いと、安全確保の話しを十分行い、練習もさせたので、いよいよ実践に入った。
      平たい畑であった。刈り払い機を持たせ、後ろから手を廻してやり動かさせた。初めての経験であり、また危険を伴う作業であるため力が入り過ぎて、うまく刈れない。
      手の力を抜いて、握りを軽く持って回転盤を動かすようにさせた。ぎこちない動きだが、どうにか草も刈れるようになった。
      ☆このおばあさんの裏山の竹が生え過ぎ、竹の子の生育に悪いため、チェーンソーで間伐させることにした。これこそ手足が吹き飛んでしまうこともあるため、何度も事前に練習をさせた。
      女性は竹を一度切らせ二度と使用させなかった。男はそういうわけにはいかない。
      刃を左方向に払う時には、必ず左足を後ろに引かせる。反対の時には逆にする。何度もこれを言った。実際に操作をさせて切らせると、足の位置が逆になることがあった。
      「足が吹き飛ぶぞ!」と、何度か大声で言った。怖わ〜〜。どうにか孟宗竹を10本程度間伐させ、無事終了した。
       お世話になった方への感謝を
      ☆男子学生はギター、女子学生はピアノが弾けた。ピアノがないためキーボードを準備した。近所の独居老人を始め、お世話になった地域の人を呼んで囲炉裏を囲んで演奏会を行った。
      「初めて楽器の演奏を聴いた。」、「囲炉裏を囲んだ演奏は、とてもいいものだ。」等と絶賛をいただき、小生もギターを弾きながらハーモニカを吹いて披露した。
      お酒も入り、自分で自分の演奏と歌に酔いしれた。
      来訪者に素麺流しを振る舞う
      谷間の水を竹で作った樋で引いて、ソーメン流しを来訪者に提供する計画をした。
      竹を切らせ樋を作らせた。水とソーメンがスムーズに流れるようにするための工作は、随分苦労したようだ。
      しかもそれらを組み合わせて、コーナーでもうまく流れるようにすることには、特に苦労したようだ。小生は手を貸さなかった。
      樋を設置する時に、3本の木を立てかけて樋を乗せるのだが、立てかけた3本の木を縛るのにPPの紐を使っていた。「折角自然のものを利用して作っているのだから、わらを紐にして使え」と指示した。
      ソーメン流しは土曜日に実演するため、金曜日は遅くまで設置準備をしていた。(竹細工をするので木屑も多いため、枝を利用させて竹箒も作らせた。)
      ☆土曜日は雨だった。来訪者も少なく、また外では食べることも出来ないため中止した。翌日曜日も、時折雨が降るという天候であったが、実施させた。釜戸でお湯を沸かせ続け、見学者が見えると食べてもらうよう勧誘する。
      食べる茶碗も準備しておらず忠告すると、我が家の茶碗を出そうとするので、「竹を利用して食べてもらわねば意味無いだろう。」と激を飛ばした。
      食べられた方は、絶賛され、中のお1人は、その情景を写真に収められ、後日大きく引き伸ばした写真を送ってこられた。ありがとうございました。
       
      テーマ:インターンシップの経験を通しての学び
      …目標と現実の業務の隔たりから生まれた3つの気づき…
      (京都産業大学 経営学部経営学科 T.U)

      私は、9月8日から同13日の6日間、日本最古の茅葺農民家「石田家住宅」インターンシップ(就業体験)に参加しました。
      本インターンシップでは、農村に暮らす際に携わる職業を体験することで、一昔前の人間にとって働くとはどういうものだったのか、その本義を考えるインターンシップです。
      また昔の職業を体験することによって、就業する上で根本的に大切なものは何か見極め、それを自分の体で体感し見聞するという性格も付与されています。
      農村の魅力を同世代の人達へ伝える職業に関心のある私が本実習に参加した目的は、農村に職を持つ魅力と同時に、その苦労の部分も実体験によって正確に知ることに有りました。昨今、農村の魅力や環境への有益性ばかりメディア等で伝えられていますが、当然あるべき苦難の部分も包み隠さず発信し、説明しないことには、なかなか農村に対する理解と納得は得られないのだと思っています。
      そこで、その苦難の部分を知るためには、現地の生活を含めた職業体験への参加する以外に方法は無いだろうと考え、それを目的に本実習に参加しました。
      私はその実習目的の達成に向けて主体的に行動し、体全体で学ぶことを旨として掲げ、それを目標とし実行いたしました。他の実習生が寝静まった後毎夜1時間独り民家の掃除をしたこと、暑中を躊躇わず開墾作業したこと、茅葺民家への来訪客の皆様には笑顔で接し来ていただいて良かったと思っていただけるような対応をしたこと等々有ります。これらは普段の行動様式や習慣、長所を再確認し、更なる自信を深めた例だと思います。
      しかし、その一方で、自分の能力、姿勢、行動基準に、社会人としての意識の欠落を認識し、様々な気づきを得ました。
      また、主体的という語義も、社会人の常識とは齟齬している部分がありましたので、それをその後の克服方法と併せてここにてレポートいたします。
      実習中に省みた自分に欠けている部分について、主なもの3点を挙げて論じます。
      ・1つ目に、発言方法に関する社会人としての意識の欠陥です。
      事前の打ち合わせの段階で、指導担当者から、インターンシップの意識についてご指導を受けました。
      「自分の考え方を、方針に則り提出し、意見を関係者に伺うという姿勢」、そしてその折「理由からではなく、主張したい結論から先に述べ、根拠を尋ねられた時初めて具体的に述べること」、また「思いついたことは、その躊躇わず質問すること」など、幾つか注意点を列挙していただきました。
      私は、それを受けて、初めて自分の主体性に対する意識の低さに気付きました。
      従来の主体性とは、私にとって受身が前提の主体性でした。
      例えば、人が準備した業務を自ら進んでこなす、そういった性質のことを主体性だと解釈していたのです。
      しかし、社会人に要求される主体性とは、一から十まで用意されたものではなく、自分の考え方の元に周囲の人間に意見を求め、盛んに働きかける時に発揮されるもので、より積極的な行動に裏付けられます。私はこのことに気付きを得ました。
      その後、実習計画書を作り、他の実習生と確認を取り合い、質問を念頭に置いた準備を進めましたが、やはり、実習開始後に準備不足による新たな問題が噴出し、大いに後悔しました。
      生活を開始してから予期していない問題が、沢山生じ困惑しました。
      それらの問題は、事前に質問をし、準備をしていれば、避けられていたものばかりでした。
      そこで、これを機に反省を得て、実習中、毎朝朝食の時間を使い、計画を立て直し、事前に指導担当者へ相談し、打診、確認を取るよう習慣付けました。
      すると、実行の段階で予期せぬこと(例えば、事前予約の無い民家への来訪者の対応など)が発生しても、少々のことでは対応できることが分かりました。
      また、計画し目標を立てることで、業務自体にもメリハリが付き、スピードと効率が上がることも、教訓として得ました。
      6日間の実習でしたが、その間に得た習慣を以って、今後も何か事を起こす際には、計画の段階で煮詰めておくことを大切にしていこうと思っております。
      ・2つ目に、人との関わり方について学んだことを挙げます。
      物をいただいたり、お世話になったりしたことは、かならず返礼する、その時、手持ちが無かった場合は「少し借りています」と言い、後日かならず返すと言うことは、農村では常識的なことです。その常識は即ち社会人の常識でもあります。
      私は、指導担当者の行動様式の中にその常識を拝見し、実習中「その日のお礼は当たり前、次の日にも再び頭を下げる」ということを徹底しました。
      その結果、近隣の方と良好な関係を築くことが出来ました。これまで経験してきた友人同士の人間関係の築き方、また、バイトでのお客様との関係の築き方とは全く別のものでしたが、そういった人を喜ばすことで得られる人との接点が、非常に心地のよいものだということを知りました。
      感謝と返礼による人的関係の作り方は、農村の生活においてだけではなく、仕事にも活かせる能力だと思います。
      実習の一環として、石田家民家の管理を巡る、教育委員会の方との談判に同席させていただきました。
      その際、管理をされている指導担当者が、連絡や返礼、礼儀を怠るN市教育委員会の担当者の対応に憤激されていました。話し合いが終わってから「彼らには誠意が見えない」と仰っていました。
      誠意とは、様々な気遣い、配慮、礼節、マナーの上に、築き上げられていくものだという事を実感しました。
      これは一つ目の気付きとも重なってくる部分ですが、やはり人間関係を築き上げるために必要なものは、「事前の質問の上に確認し準備をすること」、そして「それが相手への配慮に基づいているものであること」であり、それを尽くすことが誠意なのだということを学びました。
      そういった誠意の上に更に提案の発想力や論理性、個人の能力が付け加えられた時、初めて商談は成立するのだと言うことを勉強しました。
      この気付きを、実習中に近隣の方との交流に応用し、頂いたもの、受けた恩恵は絶対に忘れないことを肝に銘じました。
      そのことによって、近隣の方からの差し入れは最終日まで続きました。
      また、来訪者の方には、見学者名簿に名前と住所をお書きいただき、そこへ返礼の葉書きを送付して、すべての方に感謝の旨お伝えしました。
      私は実習中に習慣化したこの返礼の精神を就職活動、就職後問わず重視し、社会人として血の通った人間関係を築いていきたいと思っています。
      ・3つ目に、山村における職業体験を経験することで、農村に職を持つ魅力と同時に、その苦労の部分も実体験によって正確に知るという目的意識について、どう考え実習に望んだのかを記述します。
      実習では、すべての食材を自分たちで用意し(差し入れに頂く野菜、指導担当者の畑で採取した野菜は除く)、それを囲炉裏とクド(竃)の火力で調理し、レトルト等インスタント食品を禁止することで、食に関して普段享受している便利な製品を排除しました。
      そのことによって、自分たちが生活していることについて根底から考え直し、都会の経験では築けない価値観を掴み取ろうと考えたのです。
      もちろん、それに伴う苦労の部分も考察しようと試みました。
      実際の生活は予期していたものよりも、大変でした。火という危険なものをコントロールすることの難しさ、普段扱わない釜での炊飯、食事に関する後片付け(文化財の中なので、近代的な道具は使えない、釜は灰で洗った)等々、すべてが初めての経験でした。 しかし、指導担当者をはじめ、お世話になった近隣の方々へ、クドで自作した料理を差し入れしたいという想いから、必死に工夫し(来訪者の方に頼み込んで、コツを教えてもらった。藁を使うと上手く炊きつけが出来るとのアドバイスをもらった。)
      最終的には、指導担当者が近所の86才のおばあさんを連れてこられて指導いただき、ご飯を炊くことが出来ました。また、その他の料理も釜戸や囲炉裏ですることができるようになりました。
      その過程でひとつの料理が出来るまでの苦労と、それを食せることの有難みを深く学びました。
      また、チェーンソーによる竹材の間伐や、草刈り機による畑の除草、鍬による大根畑の開墾など、実際に農村で行われている力仕事も体験しました。
      その中で、生活に必要な用具や場所を自然の中から奪取し、自ら工作しなければならない労働の大変さを実感しました。
      ☆一口に言えないその苦労は、憧れだけでは農村に生計を立てることが出来ないことを、意味しています。
      だから、農村に生活をされている皆さんは、他に働く場所を持った上で、農業等をされる状態となっています。
      この現実をしっかり認識した上で、同世代の若い人たちを巻き込み、農村の生活、仕事を復権させるためには、克服困難な障壁が幾つもあることがよく分かりました。単なる理想だけでは、生活を再考することにはならないことを実感いたしました。
      農村に職業を持ち、生活していくことの苦労は、この実習だけでは計り知れないものだと思います。
      しかし、その一方で農村の生活の魅力を感じることが出来たので、益々同世代の人々へそれを発信していきたいと思うようになりました。

    ご飯が炊けないよ〜ッ  畑の開墾は大変だあ〜〜  これからは三枚卸もできるぞ〜  おじいさんは身を乗り出して演奏を聴かれた  美味しそうに冷たいソーメンを食べていただき〜

  • (2009年9月) たくさんの方が見えました。
         
       シルバーウィークは、連日50人を超える方の来訪がありました。
       (京料理「轟(とどろき)」
      ☆ご主人が、「石田家住宅で、料理を振る舞う機会がありましたら、お手伝いしますよ」と言われ、ご了解を得てここに記載させていただきました。
      〒605-0801 住所:京都市東山区宮川筋五丁目325番地1
      TEL・FAX:075-551-5171
       フィンランドの大学生で建築学科の学生10名
      ☆建築物には当然多くの質問があり、英語で(出てこない単語も多かったのですが、、。どうにか通じて)応えました。
         
      サイバー大学 IT総合学部の方々
  • (2009年5月 3日) こんな人は結構多く、いい感じのしない来訪者です。      
       「個人の敷地内なので、、、」と看板が立てかけてあり、誰でも見えるのですが、傍に私たちがいても、黙って敷地内に入り、目が合っても挨拶もしない人
      いつもは何も言わないのですが、今日は4組の夫婦らしき人が一同におられた時に、「看板を見られたとおりですが、言葉をかける等されたらいかがでしょうか。」と。
      稀ではあるけれど、民家の下で作業をしていると、わざわざ声をかけていただく方もおられます。そのような方には、民家の中を開けて案内をしてあげ、資料も色々と差し上げたり、暑い時には、萩の父親(94才)による手作りの純正甘夏ジュース(まだ酸っぱい内に採った甘夏と砂糖だけで作る)を出したりしますのに、、、。このジュースは、本当においしいですよ。作り方は後日教えます。
        
       今日、外車に乗って来られた60才前後の夫婦が見えていた。敷地内にあるユリや花を鹿が食べるのを防ぐため、防御ネットを入り口付近に置いていた。
      女性の足に引っ掛かり、つまづかれた。その直後、ネットを足で蹴って跳ね除け、民家の見学をされた。この様子を、近所の人と見ていた。
      「あんな人は来て欲しくないな」
  •    
  • (2009年4月18日) 南丹健歩会の皆様40数名の方が見学
       ◎強く健康で歩く、若き(数十年前に)方々ばかりで、囲炉裏に火を入れてお迎えしました。皆さん本当に健康で、いつまでもお元気でいて下さいよ。
  •        

    茅葺民家を背景に記念撮影

       
  • (2009年3月12日) 前年11月に刈り取った萱を田んぼに立てかけていましたが、茅葺民家の二階に収納しました。    
  • ◎午後のことでした。道路の傍で作業をしていると、50才台の夫婦が道路を歩きながら民家を見学されていました。
    東側から見られていたのに、いつの間にか敷地内から声がしてきました(多分、東側の柵の間から入ったのだな)。
    「どこから入られましたか?」、「あそこから」と、東側の柵を指差したので、「あそこは違うでしょう!!」と言うと、「あそこは入り口じゃないの?」と、女性から返事が返ってきた。「見れば誰でもわかるでしょう。!!」と言うと、スタスタと黙って帰ってしまいました。
    このような人は,見学に来ないで!!
  • ここが入り口と言われる熟年夫婦??

  • (2009年2月11日) 全日本写真連盟 滋賀県本部の21名の方が来訪    
  • ◎「雪の中の茅葺き民家」、「炊いた囲炉裏で燻される様子」、「乾かすために田んぼに立て掛けた萱」等の撮影をされ、囲炉裏を囲んで食事をされる計画でしたが、かなり降り積もっていた雪が溶けて無くなっていました。
  •       

    茅葺民家の囲炉裏を撮影中 茅葺民家を撮影中 茅葺民家を撮影中 茅葺民家を撮影中

     
  • 当日のメンバーの方から、「滋賀県の他支部の方々が、5月中旬に訪問し写真撮影をしたいと言われていた」と聞きました。
  •    
  • 皆さんを送り、滋賀への最短近道で、約1km続く杉林のある百井峠付近(場所を地図で表示)では、雪が残っていた。
  •       約1km続く杉林

    トップページに戻る